還暦を昨年過ごした今日のこと

                  P 黒  田   寛

 

 還暦を去年過ごした今も、海軍経理学校で過ごした昭和十九年十月から同二十年八月までの、僅か一年足らずの思い出が強烈に脳裏をよぎるのである。

 翌二十一年から医学の道に進み、学生、医局、開業と四十年以上過ごしてしまった今、若い時代の青雲の志もむなしく消え、家族と六十人足らずの職員に、安住の地を与えるのが精一杯の望みとなってしまった。

 社会環境が目まぐるしく変わって行く中、二十二年の開業を通して、個人に対する重税感が重くのしかかってきている。個人経営では累進課税率が高く、再生産が不可能なのである。

 売上税という名の間接税は、野党に中曽根内閣攻撃の口実を与え、選挙に勝つための手段に使われ、遂には廃案になってしまった。これに代わる間接税が一日も早く登場してくれることを願って止まない。

 大病院嗜好型医療や、老人病院、老人ホームの出現は、また開業医の経済的圧迫につながる。個人の開業医では償却できない高価な医療機器の出現によって、大病院との医療水準の格差が広がり、一方では、老人病院や老人ホームの出現は、それらの施設に老人が集められて、開業医の外来患者の減少につながっているのである。

 小生は、現在、市立病院の依頼によって、人工透析のサテライトをやっているが、患者数が一定数集まれば、合理化によって経営はなんとかなるし、一方、従来からやっている三十五床の小さな内科病院も、サテライトからの入院施設として、或いは検査施設として、利用できる利点も生まれてくる。今後この方面に経営の活路を見出したいものと願っている。

 次は、趣味について書いてみたい。昭和四十年から同五十六年まで、小生一人で切り盛りしていたので、夜間の当直も毎日であり、出張もできない十五年であった。その間、娯楽は囲碁一筋であったと言える。院長室は我が碁友に解放し、一カ月に一度プロの棋士を呼んで、人集めを図ったこともあった。お陰で自分では一、二目上達した積もりであったが、先年呉清源九段と打って頂く機会に恵まれたものの、こっぴどく負かされてしまい、自信を失った。所詮、旦那碁の域を脱し切れないものと観念した。

 昨年十月長男の結婚式に、和歌の上手が三人列席してくれた。小生もにわか歌人となり、仲間に入って一、二句詠んでみた。

  鶴亀の宴(うたげ)に集う人々や

    縁(えにし)尊し生ける嬉しさ

  幼子のあどけなさ残る吾子の面(おも)

    妻をめとりてたくましく見ゆ

 その後百首以上詠んでみているが、満足なものは一首も出来ない有様で、才能と努力の足りないことを情けなく思っている。

 今日の円高は、日本のかつてない低金利を生み、しかも、なお進みそうな勢いである。平均株価もまた二五、〇〇〇円に達する勢いである。しかし、金や石油価格の上昇が始まれば、世界的インフレの懸念が拡がり、金利上昇から株価の大暴落につながるのは必至である。一体その時期がいつなのかを予測することに興味があるのである。かつて一目山人の書いた一目均衡表全七巻を読んだことがその切っ掛けになった。昭和五十六年の暴落から今年八月まで丸六年になる筈である。さらに最近では、昨年八月から十月までのダウの低迷、更に今年四月末の二日足らずの間に二、〇〇〇円の急落は、来るべき暴落の兆が現われ始めているのである。来年の夏から再来年の春までには必ず起こるであろうことを想定しながら、毎日平均株価(ダウ)を観察して悦に入っているのである。できるだけ早い時期に現在の借金政策を改め、高金利に耐え得る経営基盤に作り替えなければならぬと考えながら。

 小生は、もう二十年以上前から糖尿病にかかっており、いつ如何なることが誘因となり、終わる命であるかもしれぬと思いつつ、不安な気持ちが、後継者の育成を早める結果となって、今年五月長男を東京から金沢の大学に移したものである。また明後日は皮肉にも、悩みの種となっている糖尿病の話を、自分のライオンズでしなければならない。

願わくは今からの一日一日を大切に生きたいものである。   (昭六二、五、二一記)

 

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