国際化・国際人

K 田 島  嘉一郎

 

皆さん、その後もお変わりございませんか。三七会だよりをいつも有り難く読ませて頂いております。多忙にかまけて例会への出席も、三七会だよりへの寄稿も失礼ばかりしていて恐縮です。商売柄海外に出ることが多く、今回もまた先日まで留守をしていたため、ご要請の日限を大分オーバーしてしまった感じですが、間に合えば幸いと思い、お別れして以来の様子のお知らせを兼ねて一筆させて頂きました.

 冒頭「商売柄」と申し上げましたように、昭和二十六年三月東京大学経済学部を卒業と同時に江商株式会社(現在兼松江商)に入社し、爾来三十七年に垂んと致しますが、幸いにして至って健康で、今なお内外あちこちを飛び回っております。なお、高等学校は二号時代のベット・メイト宗守弘雄兄の勧めで金沢の第四高等学校に行き、「北の都」での学生生活を満喫させてもらいました。宗守大兄、その節は大変お世話になりました。

 ところで、商社に入った以上海外に出ることはいわば承知の上であった訳ですが、それにしても、入社以来三十七年間の丁度半分に当たる十八年半を海外各地に駐在、日本にいた残りの半分も一貫して輸出部門に所属していたこともあって(最近はご多分に漏れず輸入にも精を出しておりますが)海外出張がやたらと多く、駐在、出張を合算しますと海外にいた期間は優に二十年を越す有様でして、海外暮らしがこのように長くなるとは実のところ考えてもおりませんでした。

 因みに、駐在した場所を年代順に申し上げますと、カラチ、ヨハネスブルグ、カイロ、ロスアンゼルス、ニューヨーク、ジャカルタ、最後に今一度ニューヨークの七カ所(五カ国)、一方、今までに出張した国の数は、北/中/南米、ヨーロッパ、アフリカ、中近東、豪州、東南アジアの各国を合計して五十カ国を上回りますので、駐在と出張を合わせて六十近い国に足を入れたことになります。現在地球上にある国の数は約百七十と理解していますので、この中の三分の一の国に出向いた訳でして、今更ながら「よくぞ行ったもの」の思いを禁じ得ません。

 なお、言葉の方は、英語の他ではヒンズ語、アラビア語、インドネシア語を齧りましたが、何れも中途半端に終わってしまい、一つとしてものにはなりませんでした。人によっては短時日で上手くなる人もいますが、こうした人は大体において日本語の会話も流暢な人でして、要は語学についての才能の問題と思います。

 閑話休題、最近マスコミで「国際化」とか、「国際人」ということがよく言われるようになりました。日本人の閉鎖性、独善性を海外各地で厭と言う程見せつけられ、苦々しい思いをして来ただけに、世の中のこうした流れは大歓迎ではあるのですが、どうもマスコミの言う国際化とは海外への企業進出とか、外国に出掛けて見聞を広げるとか、そのための外国語の知識を身につけるとかいった類の事のようでありますし、海外によく行き、外国事情に詳しい人をもって国際人と呼んでいるような感じでして、私の思っている国際化、国際人とは些か違うようであります。成る程こうしたことも一つの側面であるかも知れませんが、私は世界各国の相互依存関係が益々深まりつつある中にあって、日本として、例えば嘗ての集中豪雨的な輸出とか、頑なな市場開放拒否といったようなことは最早許されず、日本さえ、自分さえよければの考え方を捨てて、調和とバランスのとれた対処・対応をすることが国際化だと思っております。天上天下唯我独尊ではなく世界の中の日本であることを、すべての発想の原点にすべきであるということであります。そうすれば、日本の盛り場かとの錯覚を起こしそうな、日本の企業オンパレードのマジソン・スクエアーのネオンの広告とか、ロスアンゼルス・トーランス地区での威圧的な日本企業の一大オフィス、工場群といったオーバープレゼンスもなくなれば、インドネシアで、一国の玄関とも言うべき国際空港での送迎に半ズボン、スリッパ履きという現地の人ですら憚るような服装で出掛け、平然としている無神経さも改まるのではないかと思います。日本人としての独自性を消す必要は毛頭ないし、迎合も全く不要ですが、世界各国の国情とか、人々の考え方、宗教、風俗、習慣を尊重し、彼等との調和のとれた対応、生活のできる人こそ国際人と呼ばれるべきでして、いくら外国に詳しく、知己が多くても、こうした事の出来ない人は真の国際人ではありません。

大分偉そうな口を利いてしまいましたが、最近感じていることを書けとのことでしたし、海外では依然として思い上がった駐在員なり、出張者が沢山いて、日本のイメージをスポイルしている事例が余りに多いことから一言申させて頂いた次第です。

三七会益々の発展と、皆様方のご多幸を心から祈念致します。

(昭六三、四、二二記)

 

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