還暦を迎えて

                  G 井  手   孝

 

昭和六十三年の辰年に、私は還暦を迎えました。戊辰の役から二まわり(百二十年)の辰年であり、龍は天空をかけると申しますし、この年の運勢も飛躍の年といわれております。

 円高や貿易摩擦等、政治的社会的難問題が山積していますが、一方オリンピックの年でもあり、明るい日本、平和な世界であることには間違いないと思われます。年始に明治神宮に参拝して、おみくじをひいたところ「大吉」と出て大喜びでした。

 さて、四十三年前の海経での生活は、今でも脳裏に焼き付いて忘れることはできません。品川台場から垂水の生徒館生活は、敗戦色の濃い時代でありましたが、意気軒昂として忠君愛国の精神に燃えた青春の歴史の一齣であったかと懐かしく思い出されます。それからの私の人生にとって、この生徒生活の経験は幾多の励ましとなっています。

 終戦で昭和二十年八月二十二日、みんなと別れて故郷九州佐賀に帰り、一時は自暴自棄、茫然となっていましたが、これではいけないと再起し、これからの日本は技術立国でなければならないと覚悟をきめ、技術者の道をとりました。

 大学を卒業して、九州大牟田(三井東圧化学大牟田工業所)に就職し、以来約三十年、化学工場の建設、化学品の製造に携わってまいりました。戦後の復興期から昭和三十年代、四十年代にかけての高度経済成長期には苦しいこともありましたが、そのときには海経でのあの厳しい訓練のことが思い出されて、なにくそと頑張って来たような気がいたします。昭和五十二年本社勤務となり、昭和五十七年今の職場(高圧ガス保安協会)に出向し、現在に至っております。

 三七会だよりを毎回ご送付頂き厚くお礼を申し上げるとともに、三七会の例会や総会には欠席ばかりで、まことに申し訳ないと思っておりますが、これも仕事の都合や家庭の事情(家内の病気等)で止むを得ないものですし、今後機会があれば、出来るだけ出席したいと考えております。

三年後には定年を迎えリタイヤする時がくるわけですが、月並な言い方で恐縮ですが、還暦を迎えて思うことは、まず第一に健康であることですし、そのため適度な運動とリラックスが必要かと思います。第二には、二十一世紀まで後十二年、長生きして今までやりたくても出来なかったこと(読書、旅行、囲碁その他)に熱中し、幸多い残りの人生を送りたいものです。 (昭和六三‘二、一四記)

 

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