還暦を迎えて

                  A 大 竹  邦 夫

 

来年三月に還暦を迎え、そして定年退職となる。まだまだ身も心も若いつもりであるが、光陰は矢の如く過ぎ去って、あっという間にその時期が訪れたという感じである。四十数年前、海軍と決別し垂水の山を下りたときの思いは、今でも心に刻まれて鮮烈であるが、自分の人生にとって、定年はそれに並ぶ一つの節目であろうと思う。

振り返れば、戦後の混乱のなか挫折感にさいなまれながらも何となく復学し、二十四年に鉄鋼メーカーに就職し、居心地もよかったせいか、そのまま現在までお世話になり続けてしまった。会社人間として時に脱線することはあっても、概ね真面目概ね優秀であり、時に馬車馬の如く勤務に励んだことに悔いはない。仕事の大半が販売関係の第一線にあり、いわゆる鉄の殿様商売から、処を変えた熾烈な売り込み競争にしのぎを削る時代をむしろ長く経験し、厳しい合理化の波をうけつつも、昨今では、鉄も不況業種の仲間入りかと言われる、はげしい変転を肌で味わってきた。

その間、三七会の諸兄から連絡をもらい、時に顔を合わせ「ゆるぎなき御代の姿」を歌うことにより、海軍との復縁を感じ、また皆も立派に活躍しているのだと、どれだけ励みになったことか、感謝に堪えない。

このたびは、長年こびりついた会社人間の殻から脱皮しなければならない。感慨も一しおである。今までやりたくてできなかったことに、ようやく目が向くようになり、あれもこれもと気付くが、実際にやってみて果たしてどうなることか、そして妻に対し、今まで付き合いを口実に随分放ったらかしにしてきたことを心で詫びながら、これからは大切にして行こうと思っている。確実に今までより短い時間しかない人生の後半を、中身濃く本音で生きて行きたいものである。

最近、亡くなった親父をよく思い出す。親父は終戦時六十歳近く、職を離れ、事情もあってずっと家にいたが、生真面目な正直者で、混乱時の乏しい生活にあっても几帳面にそのリズムを崩すことなく、親切で信心深く何よりも人に迷惑をかけることを嫌っていた。亡くなるときも如何にも親父らしく床の中で意識を失い、そのまま眠る如く四日目に逝った。八十七歳であった。

これからの自分の人生の何がしかの部分は、親父のそれを下敷きにして行くことになろうが、果たしてあのような安らかな往生が遂げられるであろうか。

こんなことを考えるのはまだ早いと言われそうであるが、決してそうでもないと思う。ともあれ、それまでに学ぶべきこと行うべきことは多い。              (昭六二、一二、二記)

 

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