花に偲ぶ 

Q 小泉忠道夫人 小 泉  洋 子

 

三七会文集への寄稿をお勧めいただき、あらためて、三号同分隊の青木様から主人にいただきました、追悼のお言葉を読み返させていただきました。また、二号のときの分隊記念誌「垂水の丘を後にして」も、読み返しました。そして、本当に多くの良い友を、主人は持って幸せだったと、今また、あらためて涙いたしました。

 三七会の総会と旅行も、青木様のお誘いで、青森のねぶた総会から参加させていただきました。今回で終わりとは、淋しいことでございます。

 主人は、平成六年三月四日が命日で、その一カ月後の頃、我が家の近くの眞間川の桜が咲き、「昨年は家中で夜桜を見たのに。年々歳々人同じからず。本当にその通り、本当にその通り」と、一人で呟きながら歩いておりました。今年も、桜を見ながら、同じことを思いながら、同じところを歩きました。

 主人が亡くなりまして、もう十年が過ぎました。私も、丁度、主人が亡くなったのと、同じ年頃となり、昨年、バス通りで転び、両膝が悪いと判りました。主人は、七十歳を前にして、まだまだ働けると、頑張って、頑張りすぎたのだなと思いました。私は、今は週一、二回プールで、足を鍛えて、時々、四年生になりました孫が、学校の宿題としてやっている、国語の書きとりと、算数の計算を、一緒にやらせてもらっております。ともかく、いくらかでも、体と脳をきたえて、家族の迷惑にならぬようにと努めております。

 前に、夜桜のことを書きましたが、時とともに、満開の桜から、八重桜となり、そして花水木となり、我が家の猫の額ほどもない庭にも、紫と白のいちはつが咲きはじめました。

 今、私は、四年程前から、古代史研究会の仲間に、それこそ、雑魚のととまじりで、入れていただきまして、昨年は出雲地方、今年は四月二十三日から二十六日まで飛鳥へと行き、桜井のあたりから吉野へと、今は平和にハイキングで、山之辺の道を歩く予定です。只今は、海石榴市跡とか、金屋の石仏とやら、渡された資料を読んで勉強しておりますが、悲しいかな、すぐ忘れ、忘却とは忘れ去ることなりなど、くだらないことを呟いております。

 五月の東京総会と懇親旅行では、皆様にお会いするのを楽しみにいたしております。

 

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