昭和を駆けぬけた夫     

N 由良 巖夫人 由 良  華 子

 

いつしか年が流れ、夫 巌を送ってはや十五年になります。

夫は、生まれてすぐ昭和になり、亡くなってすぐ平成の代になったので、まさに昭和の一時代を駆けぬけた一生だったと思います。

お酒が入ると、きまって三七会の話が出ておりました。そして、自分が行かねば戦争は終わらないと、自ら経理学校を志願したこと、終戦後、また六高に戻ったので、二年遅れましたが、それだけ友人も多いわけで、「友は一生の財産」が口癖でした。

二人の孫しか知らずに逝きましたが、只今は八人にふえ、一番上は大学三年になりました。

多くの皆様にご迷惑をかけ、そして支えられた夫の人生は、志半ばだったかもしれませんが幸せだったと信じ、それぞれの時代の友人に感謝していたと思います。本当に有り難うございました。

なお、茲に、思い出のよすがとして、夫 由良 巌の学歴と職歴を記させて頂きます。

学歴 岡山一中―第六高等学校―海軍経理学校―(終戦)第六高等学校―東京大学政治学科卒

職歴 三井船舶(株)十年勤務・退職―衆議院選挙に出馬二度落選

いま、私は、ふと結婚のころを想起しております。昭和二十八年、夫との縁談がもち上ったとき、実家の父が身上書を見て、海軍経理学校は、入学時に厳しい身元調査があるので、間違いない人間だろうから、その点は安心できると申していたことを、今でもはっきり覚えています。それと、スポーツマンには悪人はいないということも。 父も、七高・東大で投手をしていましたので、それも決め手になったのではと思います。

 夫が倒れましてから、看病しながらでもできる仕事をということで、勧められて三井生命にお世話になり、今年(平成十五年)で二十五年になります。損保代理店も併せてさせて頂き、多くの皆様のお陰で、何とかここまで過ごさせて頂けたことを心から感謝しております。

三人の子供達も、それぞれに、アルバイトをしながら、何とか卒業できました。長男は、三井造船東京本社におります。ヒューストンに五年おりましたが、数年前帰国致しました。次男は、地元の玉野高校の教諭をし、岡山県のサッカー協会のお手伝いをしており、平成十七年岡山国体の準備で、当分多忙な日々が続くと思います。

埼玉に嫁ぎました娘の病気だけが気懸りですが、あとは主治医と神にお任せするしかないと思っております。

私も、あと僅かで七十歳、何とかここまで過ごせましたのは、皆様のお支えがあったからこそと、感謝の日々でございます。お世話になるばかりで、何のお役にも立たず、心苦しゅうございます。茲に重ねて三七会の皆様に厚く厚く御礼申し上げましてペンを擱きます。            (平成一五、九、二三記)

追 記

ご心配おかけしました娘の病状も、孫三人がそれぞれ、進路が決まったこともあり、ほっとして、むくみもとれて、先日会いましたときは、落ち着いておりました。

長男は、三井造船が今イランで進めているプラント事業のため、一年の半分はイランに行っております。

次男は、真っ黒になって、サッカーに一生懸命ですが、打ち込めるものがあるのは幸せと思っております。

私も、七十一歳となり、嘱託で末席を汚し、損保代理店の方もぼつぼつ仕事を続けさせて頂いております。

どうか、ご安心下さいませ。     (平一七、五、一一記)

 

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