山を愛し癌と闘った夫  

N 片山 潔夫人 片 山  禮 子

 

 夫 潔が他界いたしましたのが平成十二年一月二十一日。あれから早五年有半が経過しました。

 夫の死は、それまで何度もお世話になった稲田登戸病院で、三七会の皆さんにお別れを言うひまもなく訪れたものでした。

 顧みますと、腸の癌で、手術後丸五年、何とか家で普通の生活をしました。住友軽金属工業株式会社を定年退職して間もなく発病。その後の五年間の闘病生活は、正に癌との闘いでした。私も一緒に闘った戦友です。その間八回も入退院し、最後は首に転移して、港南台の横浜済生会南部病院でX線をかけました。

 「残りの年月を、大好きな登山に」と申しておりましたが、それも不可能となり、夫婦で上高地や乗鞍岳の中腹鈴蘭(金山ヒユッテ)や、松原湖に旅をいたしました。

 また、この間に自分史を書き、何とか「生きた証し」を書留めたい、と自費出版をしました。始めは、三七会の皆様の海軍経理学校での思い出をまとめた文集「若鮎」でした。今から二十八年前のことです。「若鮎」を含めて五冊の本を出版し、亡くなった年の前年(平成十一年)の十一月に、最後の「回想U」を上して、あの世へ旅立ってゆきました。

 自分のこと、生まれた横須賀の海軍病院のこと、三陸の津波のこと、父母のこと、仙台のこと、明治の初めからのこと、片山家のルーツ探し。父片山清次は海軍少将でしたし、何故か不思議と海に関係しておりました。

 思いもかけず、その自分史のことがテレビで放映されたのが、その年(平成十一年)の四月でした。神田神保町の小池さんの店に寄ったとき、ビデオに撮られ、自分史についても語ったものです。

 夫は、最後の本を出版し、何度も入院した稲田登戸病院で永眠したのです。海経三七期の佐多和秀先生が、内科医長として長年勤務しておられ、毎日のように見舞っていただきました。

 海経同期の三七会の皆様方には、一方ならぬお世話になりました。ただただ感謝の外はございません。

 名前のとおり、かたい山 きよし。真っ直ぐな清潔な一生でございました。

 

 

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