俳句三昧の日は何時に

                 P 伊富貴  徹 二

             

「庭に読む本の白さや若葉風」私の俳句第一作だ。商業校三年のとき、漢文教師の叱咤に止むなくひねったもの。教師はほめてくれ、彼の策に乗せられて、我が作句人生が始まった。

商業校は三年から、実務学科が増え、基礎科目が減ってくる。基礎科目の教師は余裕ができるのか、余技に親しむようだ。漢文氏のそれが俳句だった。やがて彼に誘われた何人かが、彼の師「吉田冬葉」(注1)の門をくぐることに。勿論、私もその一人である。

余談だが、商業校の三〜五年は実務教育で、上級受験に必須の基礎科目習得の時間が減り、恐らく中学三年程度に止まってしまう。況や東京の私立商業校のこと、そのレベル推して知るべし。とうとう海経入校に二年もかかってしまった。

閑話休題、冬葉師の指導は「芭蕉に帰れ」とて、きわめて古典的で所謂「や、かな」の世界。花鳥諷詠、専ら写生を重んじた。お蔭で作句の基本はかなり仕込まれたと思う。海経在校中も細々と作句。殆ど記憶はないが、「警報止んで野道は柿の日となりぬ」、「炎天や石に乾らびし魚の餌」だけが不思議に忘れられない。

戦後は二十二年頃から菅裸馬師(注2)に師事。大学の先輩でもあり、師の周りは殆ど老人であったせいか、少しばかり目をかけられた。私の俳句の骨格は、裸馬師によって形成してもらったといってよい。

八年位して弟子達の俳人根性の醜さに嫌気して、師をとるのをやめ、専ら自画自賛の気侭作句を続け、六十年余を閲することに。

俳句作者には三通りある。俳句選者、俳句論者、俳句職人である。選者は優れた作者であるとともに、論を成し、他を指導育成する。論者は良く他を批評し、また自らもよき作者だが、指導育成に適せぬ。職人は専ら句作に専念する。この分を越えると軋轢を生ずる。結構弁えぬ輩が多いのだ。私は職人に徹することとした。

銀行時代、俳句グループを作り、中島斌雄師(注3)を招いて三十年、句会や吟行を行った。いまは銀行OBの会の他、小さな結社やグループ等四つほどに首を突っこんで、やや呑気に作句を楽しんでいる。

月の作句は平均三十句程。でも三七会の幹事になって、時間をとられ、作句がややおざなりになっているのが少々悲しい。俳句の大きな功徳は、十七文字に己が観照を凝縮する勉強をしてきた結果か、会話や文章の簡略化に際し、ポイントを抽出、表現し得る力が醸成されることであると思う。

もう我が作句は一万二千句を超えているようだ。中でも私の好きな五十句程、ご笑覧に供したい。「四季別、年次順」

 ―春―

職を得し両手に抱え切れぬ東風

耳掻いて頭がこんがらかる春夜

鳴り切れの電話の向ふ万愚節

歳の差の無くて老ひの差花の酒

花に酔ふつぎつぎ言葉こぼしつつ 

蝶醒めて妃となる羽を拡げたる

星座には組めぬ都心の星朧

甘茶かけて宗教してる貌となる

革靴は頑固な形春の泥

春愁といふ身勝手な隠れ蓑

 ―夏―

梅雨に浮く泡沫杭に来て走る

鳥の言葉で夏明け小さな朝仕事

夏炉燃え手術せむ胃に酒通す

一病に甘えつ午後の法師蝉

夏帽子山彦に貸す妻の声

死を賜ふまで我が命夏の雲

岩清水口中の夏漱ぎたり

花火消ぬ神の嗤ひの如き音

また同じ夕べ水打つ無精髭

夕立が止んで目が澄む切通し

葉桜や夕日が今日を過去にする

春でない夏でない夜の慈悲心鳥

掌に安らひでをり枇杷の種

登山宿星の匂ひの水を汲む

仏掌の感情線を蟻が這ふ

麦刈って余命一ト日を使ひ切る

萬緑や光重くて休む蝶

 ―秋―

父にして片行きの愛庭紅葉

風に道あるごと往けり赤蜻蛉

板屋根に鳥が来て踏む秋の音

秋光に山河のかけら能舞台

秋の灯や風吹くやうな物忘れ

我が影の片頬あたり柳散る

粒くずれ粒くずれて花野の雨

命剥ぐごと長月の暦剥ぐ

秋霖に囲まれてゐる加賀和菓子

爽やかに人が絵となる軽井沢

鬼踏みし径かや真赤な紅葉谷

 ―冬―

夫々の心に籠る炬燵なり

走り落葉と見てゐしが終に舞ふ

天秤は毒量に傾きて凍てる

紺足袋の父よ一生世に問はず

指の隙を漏るる冬霧町閉ざす

初詣手に余ること手を合はせ

山上に山あり山に枯木星

児はいつも光を描く筆始

後列が好きポケットに懐炉入れ

鳩時計胸開くとき夜の寒さ

あの空の底ヒ雪かも径消えて

闘ふて倒れて添へり独楽二つ

北斎の波が寒くて妻の留守

三寒熱燗す四温はワイン挙げ

虎落笛今日一日に一語なし

終節は妣(ハハ)に合はせむ炉辺の唄         耀 堂

私は目下「連句」に嵌まっている。もう二十年近い。

連句は芭蕉の最も得意としたところで、「将来、俳句で自分を越える作家はあろうが、連句で越える者は出まい。特に恋の句に於て然り」と言い残している。

連句は芭蕉が三十六句に集約して、「歌仙」としたことから、当時の斯界に浸透した。芭蕉の旅は作句よりも連句の会が多い位である。連句にはルールがやや多いが、修得すれば、発想自在で誠に楽しい。連句では一巻を作ることを、連句を巻くというが、誰か仲間に入って巻いてみませんか。

余暇を得て、作句三昧、連句三昧、時至ってバイバイと行きたいものだが。さてさて!

注1 吉田 冬葉。獺祭主宰、碧梧堂の弟子大須賀乙字門、

大正十年獺祭創刊、昭和三十一年没、享年六十四歳。

注2 菅  裸馬。同人主宰、東京高商卒、東京電力会長等、子規の弟子青木月斗門、月斗没後同人継承、昭和四十六年没、 享年八十八歳。

注3 中島 斌雄。麦主宰、東大卒、日本女子大教授等、没年不詳。

 

 

寄稿文目次へ戻る