私の菜園日誌

                  N 森   賢  司

 

私の住む町田市三輪町は、東京の西方に広がり、川崎市麻生区横浜市青葉区に接する多摩丘陵の南端に位置します。

今から二十四〜五年前に、在職中、余暇の利用と健康づくりのため、家の近所の畑を借りて、家庭菜園を始めました。休日しか出来なかった野良仕事も、退職後は日課となり、今でも百坪の畑に年間約四十種類の野菜を作っています。

野菜作りの動機は、幼少時代に、九州は佐賀の農家で畑仕事を手伝わされたことと、土いじりが懐かしくなったからでした。しかし、九州の感覚で始めたので、種のまき時などをあやまり、失敗の連続でした。昔から、「千駄(せんだ)の肥より一時の播き旬(とき)」と言われて、いくら肥料をやっても、種のまき時をあやまっては、何にもならないということです。そこで、近くの農家の人に種のまき時を聞いたり、失敗した原因を分析して、「菜園日誌」をつけ、毎日の作業内容を丹念に記入したりしているうちに、だんだんコツをつかんで、最近ではあまり失敗はないようです。

野菜作りは、まず土づくりが基本。「元気な土」を作るため、近くの山から落ち葉を集めて堆肥を作り、枯れ枝を焼いては灰を作ったり、有機肥料を使用して、化学肥料と農薬を使用しない有機農法で野菜を栽培しています。畑仕事というのは、今日は雑草取り、明日は肥料まきといった具合に毎日やることがあります。「作物は作っている人の足音を聞いて太る」と言いますが、こまめに畑に出て世話をすることと、「習うより慣れる」ことが大切で、失敗から学ぶことも多くあります。

現在、精力的に取り組んでいるのは、イチゴとスイカ作り、ヤマノイモ(自然薯)の栽培です。イチゴ作りは平成九年から始めました。イチゴは親株からできるランナー(つる)にできる子株を育てて果実を収穫するので、よい実をならせるには、しっかりした苗を作ることが先決です。毎年苗作りに苦労しますが、五月の収穫期に毎朝摘むよく熟したイチゴの味はフレッシュで、店で買い求めた品が太刀打ちできないものです。また、採りたてのイチゴで作るジャムは絶品です。

スイカ作りに挑戦して今年で十年になります。スイカ作りは難しく、初めは専門家に教わったり、園芸の本を読んだり、試行錯誤して、やっと安定した成果があがるようになりました。スイカは高温で強い日光を好むので、作柄は、その年の気温と日照などに大きく左右されます。今年は猛暑で晴天が続いたので大豊作でした。十二キロもある巨大なものや、七〜八キロの大玉も多数穫れて七十五個も収穫し、友人や近隣などにもたくさん配りました。「店で買ったものよりおいしかった」との嬉しい返事がありました。残りは妻と二人で毎日食べて夏の味覚を満喫しました。暑い盛りに日毎に大きくなるスイカを畑で眺めるのは最高に楽しいものです。

ヤマノイモ(自然薯)は、平成二年から十年がかりで、毎年秋に、近くの山で自然薯を掘り出しては、畑の隅に移植し、周囲に竹支柱を立てて栽培しました。漸く、大きく成長したので、四年程前から順次掘りあげて収穫しています。大物は長さ九十センチ重さ四〜五キロもあり、深く掘り下げるため大変骨折りますが、収穫のよろこびは大きいです。自然薯は栄養価が高く、「山菜の王様」の別名を持つ程で、粘りが強くコクがあります。

こうして手間ひまかけて自身で育てた野菜を、旬で味わうのは格別で、水々しい野菜本来の味と香りがあり、安心して食べられます。穫れた野菜は、妻が漬物にしたりジャムを作ったりしますが、食べきれないので友人や近所に配り、子供達に送ったりします。「おいしかった」と言ってもらうのが何よりの収穫です。

毎日の畑仕事は楽しく、張りになっています。一日があっという間に過ぎてゆきます。しかし、この頃は、あと何年やれるのかなあと思うこともあります。動ける間は頑張る積もりです。元気で長生きして最後はコロリと(ピンピンコロリ)ゆきたいものです。お陰で薬の服用はありません。今のところ。

 

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