オリエント急行に乗車

         L 宮 内  英 夫

 

二〇〇二年十一月二十日(水)、昨夜サン・マルコ広場近くのレストランで遅い夕食をとり、リド島のホテルに着いたのは二二〇〇頃である。さすがに疲れた。シャワーを浴びる程度で、すぐ就寝する。

翌朝〇六三〇起床、〇七三〇朝食をすませる。食後ホテルの近くを散歩する。桟橋近くに八百屋さんがあったが、日本の店頭とそんなに変わりはない。ミカン、洋なし、クリ、カーキ(柿)もある。渋柿なので、完熟を食べているようだ。

このリド島は、普段は落ち着いた住宅街だが、八月最後の週から二週間にわたるヴェネツィア映画祭は、この島の「映画の宮殿」で催される。世界中から名だたる俳優や監督、ジャーナリスト達が集まり、華やかな様子がテレビで伝えられる。

また、海水浴のリゾートとしても有名である。なんと、一八七四年には、すでに二万五千人の海水浴客が集まっていたという。

さて、〇九〇〇ホテルのロビーに集合し、早速桟橋に向かう。桟橋といっても、木の杭が四〜五本立っているだけである。フェリー用の立派な桟橋が近くにあるらしい。因みに、この島では自動車が走り回っているので、ヴェネツィアと違って要注意である。

水上タクシーでサンタ・ルチアに向かう。途中の眺めは、昨日と違う角度からで、それなりに素晴らしい。約二十五分後に桟橋に着く。駅はすぐそばにある。

さあ、憧れの「ヨーロッパの貴婦人、オリエント急行」とのご対面である。いささか、エキサイト気味である。別に鉄道マニアというほどではないが、この列車には一生に一度でいいから、乗車したいとかねがね念願していた。

いた、いた。雑誌やテレビでおなじみのブルーの車体である。何枚も写真を撮る。車体側面中央に誇らしげに飾り付けられている「向かい獅子」マークのエンブレムが眩い感じである。

オリエント急行

ヨーロッパのオリエント急行を作り出したワゴンリ社は、ベルギー人ジョルジュ・マッカースが創設した国際寝台車会社である。

一八八三年にパリのエスト駅を出発して、トルコのイスタンブール駅に向かった五両編成の寝台車と食堂車がその第一号車である。内装はマホガニー、壁は総絹張り、床にはトルコ絨毯を敷き詰めるという、まさに世界一の超豪華列車だった。

第一次世界大戦後には、次々に新路線と姉妹列車が運行されるようになった。百二十年にわたって世界中の人々が優雅な歴史的ドラマを繰り広げてきた。まさに「走る宮殿」と言える。アガサ・クリスティの推理小説『オリエント急行の殺人』はあまりにも有名である。

一〇三〇オリエント急行は音もなく発車する。ヨーロッパを旅行した人はお気付きのように、駅でのアナウンスも、列車内でも殆どない。定刻(殆ど遅れるが)に音もなく出るので要注意である。

先ずは、コンパートメント内に落ち着く。といっても興奮気味で落ち着かない。通路を観察したり、トイレを確認したりと忙しい。別に急ぐ必要はない、なにしろフィレンツェまで四時間以上かかるのだからと言い聞かせる。

今回は、日本人ばかり約百五十人による貸し切り列車である。従って、食事の時と記念品の買い物の時だけ日本語によるアナウンスがある。これは例外で、普通は車掌が連絡に来るらしい。

我らがグループは幸い第一回目の食事である。一一〇〇と少し早いが、丁度腹も減ってきた時で、ありがたい。ピアノで生演奏中のラウンジを通ってレストランへ行く。

ランチなのに、予想に反してフランス料理のフルコースである。赤のフランスワインと美味しい料理で、満足満足である。外を流れる風景は、まさに一幅の絵であり、夢心地となる。

(上記は二〇〇二年十一月十七〜二十四日イタリア旅行記からの抜粋です。詳しくは左記ホームページをご覧ください。)

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