欧州かけある記

―ワイン工場見学―

                 B 宮 井  嘉 則

             

昭和五十年十月二十七日から十一月六日まで十一日間、欧州五カ国を駆け足で回り、その間、ライン、オーストリア、ボルドーでワイン工場を訪問したほか、各国の名所、旧跡を訪れた。私の日記の一部を紹介し報告とする。

○十月二十七日 曇

エール・フランス便で二二時三〇分羽田空港発、アンカレッジの手前、機上から眺めた万年雪をかぶったマッキンレーの山々は雄大だった。

○十月二十七日 曇

霧深い朝七時四〇分パリ空港到着。二国の時差修正で十六時間差が八時間差となる。時差ボケは軽かったようだ。空港ではエール・フランス地上勤務者ストのため立ち往生。予定を変え、オリオール空港からルフトハンザ機でフランクフルト直行となる。待ち時間のため到着が遅れ、ゲーテの家はじめ市内見学は中止となった。

夕食後、友人と町へ出た。ブティックでゾーリンゲン刃物の買い物をした。繁華街の一郭はSEX・SHOPが立ち並び賑わっていた。

○十月二十八日 曇 一時晴

朝の散歩で立ち喰いしたフランクフルトソーセージはうまかった。朝九時、バスでワイン工場見学に向かう。ライン支流の沿岸一帯のぶどう畑、通過する町や村にはワイン工場が多い。その中の中堅どころのG・Aシュミット社を訪れた。日本では大手の工場と思う。若社長が我々一行のため、ぶどうの仕込みの準備をして待っていた。工場、倉庫をくまなく案内された。国内向けには一リットル瓶を使っている。試飲会ではライン、モーゼルワイン数種が出され賞味した。どのワインが美味しいか、もっとドイツワインを輸入してほしいと商売熱心なところを見せる。初心者にはドイツワインが適すると思った。

ドイツの家庭で常飲しているワインは四―七マルク(一マルクは百二十円)とか。通訳のポピルス夫人のワイン知識の詳しいのには驚いた。これが普通だという。びっくりしたのはバスの運転手がワインの杯を重ねていたので、一行の一人がドイツでは飲酒運転はいいのかときくと、「日本では運転手は酒を飲まないのか」と反問された。

シーズンオフでライン下りの舟がないので、バスによるライン下りだ。ガイドさんによるライン下りの名解説は、テープに取っておきたかった。父なるラインの流れは変化に富み、急流は力強く、美しく、すべてが感動的だった。

両岸一面のぶどう畑、二十三個所の有名な古城、コブレンツからマインツまで息つく間もなかった。朝からどんよりしていた空が晴れたのは幸いだった。

○十月二十九日 曇

フランクフルト空港を飛び立った727は、霧のためウィーン空港に着陸できず、百キロ以上も南のグラーツへ不時着。バスで三時間、ウィーンのシェーンブルンホテルに着いたのは夜一〇時。全く疲れた。

○十月三十日 曇一時晴

都心から八キロ離れたシェーンブルン宮殿の隣のホテルに接する湖は霧深く静かだった。木の間を飛び交う小鳥、カアカアと鳴く烏の声は童話の国へ来たようだった。

朝九時出発前、ホテルのブティックで絵はがき、財布等を買ったが、売り子がレジに打ち込む前、ボールペンで数字を書き筆算する様は全くのんびりしたものだ。

レンツ・モーゼル社は七十キロの郊外だ。バスは、市内の目抜きをオーストリア、ウィーンの歴史など詳しい説明を聞きながら、国立オペラ劇場、ヨハンシュトラウス、ベートーベン、ゲーテ、モーツァルトの像、国会議事堂、宮殿::を経て、ドナウの河畔へ出た。

ドナウの水は、よく見ると青くない。通訳の話では、青きドナウなど芸術家のつけたものだという。ウィーン一帯はドナウの氾濫で被害を受け、流れも色々変わったらしく、百年前スエズ運河の技術で現在の流れを安定したという。しかし、大水のときは造られた緑地帯も水をかぶったとか。

ウィーンの森を左右に見、ウィンナワルツをかなでながらバスは一路目的地へ向かった。

レンツ・モーゼル社長宅は、博物館、美術館といえるお城だ。社長自身も日本に来たこともあり、絵も得意らしく、浅草仲見世の絵もあった。ブドウ園には晩(おそ)づみのマスカットが残っており、ぶどう狩りをした。かびの生えているぶどうはペニシリンで風邪の薬だ、と社長直々食べて見せたりした。試飲会では数種類のワインが出された。パンを食べ、味を試しながら賞味したが、先日のラインワインより少し落ちるかなあと私の舌には感じられた。工場見学では、オーストリア第一と自称する五万六千リットル入りの木の大樽を見た。一九四二年、ゲーリング元帥から譲ってもらったという。社長は、戦争中ゲ―リングと親しくナチスに関係あったとかで、戦後政府等から追及されて苦労されたという。戦犯の追及は、日本のようになれ合いではないらしい。

その時聞いた話で、北海道の帯広から二名の若い人がワインづくりの研修に三年契約で来ているとか。会いたかったが時間がなく、果たせなかった。

見学後、ウィーン空港からジュネーブへ向かった。左手にアルプスの白く光った山々を望み快適な飛行だった。オリンピックのインスブルックもその一部にあるという。ジュネーブ空港が濃霧のため、チューリッヒ空港に降りる。

ジュネーブへの臨時列車は一等車といわれたが、旧特急のつばめ程度だったと思う。速度も八十キロくらいだった。

○十月三十一日 曇

朝のジュネーブを散歩した。食品ショップは早々と開店している。店内はワインを始めとする酒類のウェートが高いようだ。

市内観光では国連関係の建物、宗教改革記念像、花時計、ルソー島等名所旧跡めぐり。レマン湖から望むアルプスは曇りで見えず残念だった。昼食は名物のオイルポンジュー(スイスのすき焼き)、九ちゃんのスキ焼きソングのバンドで歓迎された。ジュネーブから一飛びでパリへ。

○十一月一日 雨

雨のパリ見物。ノートルダム寺院―コンコルド広場―凱旋門::オペラ座横の「東京」で日本食。数日ぶりの日本の味懐かしくかみしめる。午後、ルーブル美術館―モナリザ、ミロのビーナス等を見る。夜、モンマルトルのサンククレレ寺院付近へ行く。

○十一月二日 曇

ベルサイユ宮殿(郊外十八キロ)見学、壮大な規模にビックリ。午後、セーヌ河の遊覧船に乗る。川はいつも見る江戸川より幾分汚れていたようだ。釣り人のいるところから魚は住める程度らしい。夜パリ名物の生がき、エスカルゴを食べに行く。赤ワインを飲みながら賞味した。生ものの嫌いな私にも何とか食べられた。

○十一月三日 晴後曇

列車でボルドーへ。フランス中部の平野を一路南へ。途中はのどかなフランスの農村風景。放牧の牛がいたるところに見られ、散在する村落、中世風の城(シャトー)も、フランスならではの風景の一つだと思う。

一五時ボルドー駅到着。直ちにバスで六十キロ郊外の目的のシャトーに向かう。  

約二時間走り、ボルドーのメドツクへ。地域三万余といわれる色彩鮮やかなシャトーが絵巻物のように繰り広げられる風景は、本場に来たなあの感を深くした。日本一といわれる甲州の勝沼のぶどう畑、ワイン工場とは全く比べ物にならない規模だ。

その中でも有名なシャトーではわざわざバスを徐行させ、ガイドさんの解説があった。

シャトーパルシオンは、名のある方ではないが、工場長は日本からの来訪を大変喜び親切にワインの作り方を説明された。ここでは赤ワインを作っているそうだ。工場見学後の試飲会では、自家製の赤ワインと他のシャトー製の白も出された。

○十一月四日 晴

ボルドー空港から一時間、ロンドン、ヒースロー空港に着く。霧のロンドンは晴れており、十日間の旅行の中で一番天気がよかったのは皮肉だった。

市内観光は、ロンドン塔、国会議事堂、ウェストミンスター寺院など回った。テームズ河は思ったより汚れていた。夜ピカデリー広場へ出たが、東京と違ってネオンが輝くのはこの地域だけだという。地下鉄、二階バスも利用してみたが、自由にしゃべれないので、何となく緊張する。

○十一月五日 曇

早朝、友人五人とバッキンガム宮殿見学へ。周辺にグリーン、ヒューム公園などあるが、日本のように堀を隔てた皇居と違い、普通の塀に囲まれた宮殿は、民衆の中に永く続いたイギリス王制の歴史を思い出す。

ロンドン空港からパリへ。

パリ空港は又もやストライキのため、出発は三時間遅れとなる。

○十一月六日

アンカレッジ経由、土砂降りの羽田空港に到着、税関を終えて家族、友人に迎えられる。

〈十一日間の感想的まとめ〉

@ジャンボジェットに初めて乗せられた。しかも、十数回連日乗せられた。飛行機嫌いで一度も乗ったことがなかった私も、やっと現代人並みとなり、恐怖心がなくなったようだ。

ハードなスケジュールとパン好きでない私、十一日間の旅行は不安だったが、いざとなるとパンも美味しく食べ、出るものは何でも平らげ、ワインなど美味しく飲んで三キロも太った。日ごろの心配事も実践すれば難なくやれるということだ。

A旅行地域の地理、産物(特にワイン)については一通りの下調べをしてあったので、ガイドさんの解説もよくわかったが、夫々の歴史について、もっと調べておけばよかったと反省した。

B現在の日本は、ヨーロッパに見劣りしないし、それ以上と思う。しかし、歴史が古く底が深い点では学ぶべき点が多い。

 日本の高速道路は各所で公害問題を起こしているが、ドイツのアウトバーンは日本の二倍以上が全国に張りめぐらされている。空港も都心から数十キロにあり、騒音公害等余りないらしい。(三十年も経った今では多少事情が変わっているが。)

C「百聞一見に如かず」で、今まで書物や映画等で観念的、平面的に見てきたのが、実物を立体的に見てきたことは、今後の生活に大きく役立つと確信している。

 他にも書きたいことは色々あるが、紙面の都合もあり割愛する。

Dあらゆる事象が、国際規模で動いている現在、特に通産省内という環境にいる消費組合も、井の中の蛙であってはならない。今度のワイン研修旅行のようなチャンスを掴んで、幹部、次期幹部等を派遣し、国際時代に乗り遅れないようにしなければならないと考える。

 (これは、私が通産省消費組合勤務《昭和三十四年〜六十四年》中の昭和五十年、M社の招待でワイン販売店主三十数名とヨーロッパのワイン工場等を見学した研修ツアーに参加した時の旅行記の一部と感想総括であり、通産省消費組合新聞に掲載されたものです。)

 

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