歌 あ れ こ れ

 A 川 崎  友 則

 

ゆるぎなき御代の姿 うつすてふ

東京湾頭 波寄する築地の岸に

昨年九月、二分隊会の旅行の途次訪れた。校舎の跡には記念碑が建てられていたが、半世紀以上を経て、すっかり変貌を遂げた隅田河畔。かつて在京時代には幾度となく花火大会を見に訪れたものだが、昨今の花火は、その企画は勿論、質、量ともに格段にすばらしい。

今年は「江戸開府四百年記念花火」もあるようだ。

あれこれ無量の感慨を残しながら、品川の旧校舎脇を経て箱根に向かった。

 箱根の山は天下の嶮 函谷関も物ならず

万丈の山 千仭の谷 前に聳え後に支う

雲は山をめぐり   霧は谷をとざす

昼猶闇き杉の並木  羊腸の小径は苔滑らか

 往時の武士(もののふ)を偲びながら、箱根畑宿の寄せ木細工や成川美術館で美術鑑賞をした後、仙石原温泉に一泊した。

 今回も晴天の下、整備されたバス道路を車で走ったせいか、「箱根八里」の歌詞にあるような嶮しさ、山、渓谷、小径や暗さは殆ど感じられなかった。次回の箱根詣では、脚絆、地下足袋で山道を登ってみたいと思っている。

この歌は、私の好きな歌の一つで、朝夕の散歩や、日課である庭掃除の折に口ずさんでいる。

 先ず、朝起きての第一声はラジオ体操の歌である。昔の小川孝敏作詞に成る歌は、

一 踊る旭日の光を浴びて

屈(ま)げよ伸ばせよ 吾等が腕(かいな)

ラジオは号(さけ)ぶ 一 二 三

であり、大変よかったが、現在の歌も明るい。

すなわち、              藤浦 洸作詞

一 新しい 朝がきた

        希望の朝だ

喜びに胸をひらけ

       大空仰げ

ラジオの声に 健やかな胸を

この香る風に 開けよ 

   それ 一 二 三

次いで第一体操、第二体操と体をほぐした後、愛犬ナナを連れての散歩である。

散歩といっても、ナナは齢十七歳の老婆で、足腰がおぼつかない。遅足とダッコの繰り返し。この間、口をついて出るのが、幼い頃の校歌である。 

幼なき肩に担いたる

吾はたけしき小国民

といった小学生時代の校歌が最も懐かしい。

そして、春夏の高校野球、早慶戦等の校歌や応援歌の高鳴りに、思わず青春の血がよみがえる。

また、みなさんよくご存知の、今は亡き桑原宗一郎君から、生前、私の勤務先の銀行に度々電話で呼び出しがあり、夜な夜な銀座で飲みながら、寮歌を歌ったものである。

嗚呼玉杯に花うけて

緑酒に月の影宿し

と、彼は五番まで、手を振り合わせながら何度も歌い続けた。寮歌祭の創設等に尽力した彼のご冥福を心からお祈り申し上げる。

さて、戦中派の我々にとって最も忘れられないのが軍歌である。古くは佐々木信綱の「凱旋」や西条八十の「若鷲の歌」、土井晩翠の「独立守備隊の歌」、高村光太郎の「歩くうた」など。「歩兵の本領」は若い頃十番まで覚えてしまったし、「江田島健児の歌」は六番まで、「日本海軍」も一番から二十番まで歌うことにより、軍艦の名前を暗記してしまった。

唯、海経時代の軍歌集が手許に見当たらず残念だが、中部三七会で斉唱する校歌と「如何に狂風」、「同期の桜」など精一杯の声を張り上げて歌っている。

その他、学生時代の校歌もさることながら、社会人時代の「行歌」がある。私は住友と三重の二行に在籍したので、両銀行の行歌も忘れ難い。毎年のOB会で歌っている。

最近では、日本の名歌といわれる童謡や唱歌の中から思いつくまま、「お正月」、「春の小川」、「鯉のぼり」、「夏は来ぬ」、「からたちの花」、「五木の子守唄」、「われは海の子」、「故郷」、「茶摘み」、「美しき天然」、「荒城の月」、「雪」、「富士の山」、「椰子の実」、「青い山脈」、「上をむいて歩こう」、「影を慕いて」、「幸せなら手をたたこう」、「瀬戸の花嫁」、「リンゴの歌」など、四季折々に合わせて心を和ませている。

また、私の所属するロータリークラブでは、毎月初の例会冒頭で、「君が代」と「ロータリーソング」を斉唱しているが、藤山一郎作詞作曲になる当クラブ独自の歌もある。

精神(こころ)は一つ 奉仕の理想

集いし我れ等 ここに在り

西R(ロータリー)  西R 西ロータリークラブ

元気で又会おう 木曜日

そして、ふと我に返った。

 

波寄する築地の岸に

聳え立つ 我等が母校

星うつり人は変れど 

古りし庭昔を語り

五十年光栄ある歴史

とこしへに吾等を照らす

ああ懐かしき吾等が母校

母校の光栄は吾等が誇り

この誇すてず進みゆくこそ

吾等がになふ永遠の使命ぞ

 

 

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