これからの十一年

                 P 三 田  義 雄

 

少し前になるが、我が国の平均寿命は男女とも世界一が確実とする厚生労働省の「二〇〇一年簡易生命表」について、新聞が報じているのを見た。長寿世界一は毎年のことなので、余り中を読みもしなかったが、ふと年齢別平均余命表が目に留まった。「七十五歳(男)一〇・九五年」。ああそうか、俺の寿命はあと十一年ばかりかと思ったりしていたら、十一年前はどうしていたかなと思い、それから日記を繰ってみる気になった。

丁度、子会社の社長をしていて、毎日が多忙だった頃で、仕事に関連することが多く出てきたが、「瀧明洋次郎学年副指導官逝去」のことも書かれていた。また、この年には「ペルシャ湾岸戦争」や「ソ連邦消滅・独立国家共同体へ移行」などが起こっている。

何だ、十一年前といっても、ついこの間のことではないか。そうすると、残る寿命はそれ程もないということではないか、と思い始めたのである。  

 (一)

思い返してみると、生死の問題について考え始めたのは、道元禅師の「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」について読んだ頃からだったような気がする。

大分昔のことになるが、当時、お寺出身の先輩が「道元禅師は哲学者だ」と言っていたことが影響したように思う。「正法眼蔵」について本を読んでみると、「正法眼蔵」とは「仏教の真髄」という意味らしく、「只管打坐(しかんたざ)」で貫かれていて、ただひたすらに参禅して座り続ければ、「とらわれ」から自然に離れて、真実の自己を確立できるというのである。

道元禅師(一二〇〇〜一二五三年)は鎌倉時代初期の人で、四十四歳のとき大仏寺(後に永平寺と改められた)を建立した日本曹洞宗の開祖であるが、孤高で潔癖であり、求道に徹した方で、本の著者によれば、禅師が生死について説かれているのは、どうも次のようなことになるらしい。

禅では、生死をどう理解するかといえば、それは、生死への「とらわれ」を離れることに尽きる。いっさいの「とらわれ」を離れてみれば、すべてのものが自由である。生死への「とらわれ」を離れる方法は、いま、ここ、自己への全力投球をすること以外にあり得ない。そして、人生とはまさに、珠玉が転がり落ちていくように、思いにとらわれず、自然に任せるのが一番大切なことだ。

しかし、読み進んで行くと、悟りとは、このようなものだと頭の中だけで理解し、あれこれ思うことは、思いにとらわれていることになる。一瞬でも思いにとらわれれば解脱することはできない。「行仏威儀」に突き当たり、「とらわれないという思いにとらわれてはいけない」というのであれば、「只管打坐」しかないことになる。落第した私は、「自己への全力投球」と『とらわれ』から離れ、自然に任せる、という教えだけを頂くことにした。

   (二)

少し前、かつて学んだ旧制高校の同窓会で、薬師寺管主、法相宗管長の松久保秀胤師が、たまたま同席しておられて、私達の三年ばかり後輩に当たることを知った。その時、師の「生きる指針」という本を買わせてもらったが、読んでみると、書かれていることが、まさに、道元禅師の説かれていることと相通じるのである。

「いたずらに『死』を恐れるのではなく、せっかく命を頂いているのですから、もっと大事なことは何かを見つめ、今を一生懸命生きていくことではないでしょうか」、「私自身、毎日毎日生き甲斐のある生活をしたいと思っていますし、一分後に死ぬかも知れないということは、常に心しておく必要があります」、「自分の『死』を意識することで、限られた命がいかに大事なのかということが分かってきます。すると毎日を生き生きと暮らさねばもったいないと思えてきます」。

ところが、この本の次のくだりになって、頭をガツンとやられた気がした。それは、ある人(羽成幸子さんという人)が「自分の命日を決めてあるんです。二〇二六年七月七日、カレンダーに『幸子逝く』って。まだ生きているようだったら、そのときにはまた命日を書きかえます。::死と向かい合うと、エネルギーをもらったような気がするんです。あれもやろう、これもやろうって思いますね。あと二十五年ですから」と述べているそうである。

また、九十八歳で亡くなった宇野千代さんが長生きの秘訣について尋ねられ、「その日、その時をただ夢中になって生きてきただけ。鳥のように、虫のように自然にね」と答え、「一生懸命生きたものは、自分の人生に納得して最期を迎えられる。死を受け入れて旅立てる」と語っていたことを紹介しておられる。

また、「後書にかえて」で次のようにも説かれている。

「きょう一日を精いっぱい生きることです。迷いや苦しみ、過ちや失敗のない人生などありえません」、「『老い』も『苦しみ』もあるがままに受け入れて、あるがままに生きることです」、「恐れずにあるがままに『死』を迎えたいと思うなら、自分の周りですばらしい死にざまを見せてくれた人の生きた姿に学ぶことです」。

   (三)

その意味で、日野原重明先生(聖路加国際病院理事長、同名誉院長)の著書はまさに恰好だ。

先生の著書に初めて接したのは、もう十年以上前になるが、「死をどう生きたか――私の心に残る人びと」だった。先生が内科の主治医として、それまでにお世話をされ、亡くなった数多くの有名無名の患者の中から二十二名の方々の生の終焉の実相と先生の想いが書き綴られたもので、一つ一つが非常に感動的であった。先生ご自身も「ここに紹介した患者さんの死を通して、死ぬことがどう生きるかを問われる最後の機会でありうることを知った。::これらの方々から、生とは何か、そして医学とは何かまでを学ばせて頂いた」と書いておられた。

従って、今回、店頭で先生の「生きかた上手」を見つけた時は一も二もなかった。その後のこの本の売れ行きも爆発的だったらしい。

九十歳を超えた現役の内科医・日野原先生は「これまで、私は数えきれないほどの患者さんを診察し::ゆうに四千人を超える患者さんを看取りました」と書かれ、さらに、これまで患者から、はたからはうかがい知れない悩みや苦しみの告白をきかれ、「患者さんは自らの死を通して、死がどういうものであるかを私に教えてくれました。::そのようにして、今日までうかがったさまざまな人生の辛苦を自分が体験したようにも感じてきましたから、私の年齢は実際の九十歳どころか何百歳も生きてきたような気さえしてきます」と書かれている。まさに達観した老僧のような方である。

その日野原先生が「老いとは衰弱ではなく成熟することです」の項の中で、「二〇〇〇年秋、私は『新老人運動』を旗揚げしました。::資格は、『新老人』と呼ぶにふさわしい満七十五歳以上の心身ともに元気な老人です」、「世の中では一般に、六十五歳以上を『高齢者』と呼んでいますが、私から見れば、六十五歳はまだまだ若い。元気があって当たり前です。七十五歳を過ぎてもなお元気であり続ける人のその生きる知恵とパワーを結集しましょう。:::いくつになっても創めることを忘れない。::その気になれば、年老いてからでも、新しいことを始められます」、「私は九十歳になりますが、今だに現役で創造力も行動力も若い人には負けないつもりです。いま七十五歳の人なら、私と同じ九十歳まで、たっぷり十五年もあるではありませんか」、「若い人に『あんなふうに年をとりたい』と思われるくらいの老人になりましょう」と私達を鼓舞しておられる。 

早くから予防医学の重要性を指摘され、ターミナルケア(終末期医療)の普及に努めておられる日野原先生は、我々に対して「人生はひと言で言えば、習慣です」と喝破しておられる。成人病と呼ばれてきた病気に対して、「私は二十年も前から『習慣病』と呼ぶべきだと言ってきました」と言われる先生は、医師の立場から、「よい習慣を体に覚え込ませればよいのです」、「健康には、何よりもよい習慣が欠かせません」と諭されている。  

(四)

私も、この程ようやく「新老人」に仲間入りのできる満七十五歳の誕生日を迎えた。これからの十一年(果たして十一年もつかどうか分からないが)をどう生きるかは、前述の人生の諸先達の教えにはっきり示されている。あとは私自身がこれからの目標を練り上げて具体的に定め、これへの挑戦と達成のために、一日一日を精一ぱい努めながら、他方、あるがままに自然に任せて生きていくほかはないと思うのである。          

 

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