夏の日に思う

                 G 北渡瀬  良 彦

 

今年の夏至は六月二十二日の日曜日で、東京ドームでは巨人が阪神に負けて翌朝刊に「虎の尾を踏み損ねた」と書かれたのだったが、私は街の碁会所で宿敵?::と戦っていた。近所の個人タクシーの運転手さんで、負けると夜寝られないから是非勝ちたいと言うのだが、その思いは誰も同じなのだろう。しかし親の敵のように只ひたすらやって来られるとこちらは閉口するのである。

近畿三七囲碁会には大方出席させてもらっているが、出席者はだいたい何時も決まった四名だけで、四名だから一人欠けると組み合わせがうまく行かなくなるから欠席するわけにはゆかない。これは困るのだが、囲碁会は大方和気藹々と、親睦を旨として大いに真剣?に囲碁を楽しんでいるのだが、その後の行きつけの一杯飲み屋でイッパイやるのが実に気晴らしになって中々いいのである。何とかもう一人か二人増えないかと思うのだが。

話は別の私事だが、私は、今年三月末締め切りの東京の新風舎という出版社の出版賞という賞に、原稿用紙換算百三十枚ほどの私小説っぽい中篇で応募して、見事落選したが、百万円貰った当選作は「夏は来ぬ」と言う作品で、夏を殆ど全裸で過ごすという、若い作者の生活を写真入りで紹介したようなものだった。選者評として、選者をアッと驚かすような作品を書けとあったが、勿論私などそんな生活はしていないし、そんな作品を書けるわけがないが、::。

しかし、私はその時何の脈絡もなく、ふと、嗚呼、若き日の光栄は、今年十四の記念祭、という旧七高造士館の寮歌を思い起こしていた。私は旧中五年に病を得て七高に入れず、終戦後もうろうろしているうちに編入の機会を失して、苦難の道を辿ったが、旧中から一浪して経校に入った時、同じ分隊には中五現役からの若い秀才達がいた。戦後は赫々たる出世街道を歩まれたと聞いている。三七会では中々お目にかかれぬのだが如何しておられるだろうか。時に謦咳に接したいと思うのだが。

先日、近畿三七会の例会で高野山に行って、奥の院の弘法大師の御廟にお参りして帰り道、誰かが「もう弘法さんにもお参りしたからいつお迎えがきてもええ」と冗談に言い、誰かが「いや、その時は、一寸待てと言わないかんぞ」と言いみんなで大笑いしたが、お迎えは気にならなくても、我々は八十歳を目前にして、確かに齢を重ねた。

或いはその日を見据えて、一日一日をより真剣に生きなければならぬのだろうか、などと暑くて長い夏の日の徒然に、私は思うのである。

 

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