所感――海経の跡を訪ねて

                  D 高  橋   清

 

この度の文集に応ずるに際し、私は海経の跡地を訪ねようと思い立った。昨年十二月初旬の小春日和の午後、品川に出かけた。東京の住人とはいえ、平素の生活圏外になるので、長年品川には足を運んでいない。昭和十九年十月の入校当時は、品川駅の現在の西側出口から出て、八ツ山橋まで迂回し、海岸通りに出て御楯橋を渡り、校門をくぐった。

戦後六十年の時の流れは激しい。今は品川駅東口整備事業により、海岸側の東側出口から駅の両側を結ぶ道路に出る。途中、新設の新幹線の改札口や駅前ビル内のデパート前の人混みを抜けて駅前広場に立つ。整備された広場の周辺には新しい高層ビルが並び、往時の駅の裏町といった様相とは全く別世界である。駅前の商店街の煉瓦通りを直進し、海岸通り(今は、旧海岸通り)に突き当たり、左折すると御楯橋の前に出る。橋の名札が「みたてばし」と平仮名の横書きになっており、のんびりとした風景で、「御楯橋」や当時の面影はない。橋を渡るとすぐ右側に、東京海洋大学(東京水産大学と東京商船大学が平成十五年十月に統合)の正門がある。いうまでもなく海軍経理学校の跡である。

当時の敷地は、新海岸通りとその上を走っているモノレールで分断され、道路の西側の殆ど全部と東側の海岸に接した南端が同大学で占められている。両側の残りの場所は、学校のほか倉庫やビル、高層マンションが立ち並び、特に道路の東側は、臨海地区の開発ぶりを眼前に見る大変な変貌ぶりである。

同分隊の東正恒君から、同校の構内には築地の勝鬨橋脇の記念碑のようなものはないと聞いていたので、門の脇の大きな構内案内板の前に暫しの間佇んで校内の風景を眺めることとした。旧校舎の殆ど全部が改築されたとのことで、今や全くのキャンパスの雰囲気の中に校舎が並び、野球場やサッカー場も設けられている。女子学生の姿も散見された。変わったとはいえ、やはり六十年前、この地で指導教官と上級生特に一号生徒の指導の下に過ごした三号生徒当時の分隊生活や授業、訓練等が走馬灯のように回想された。他方、跡地が海洋産業を担う人材の育成に使われている姿を見、喜ばしい限りであった。(東京水産大学が昭和二十九年に当地に移転)。さらに校門を去り、周辺を歩くにつれて品川沖に因んでいささか思われることがあった。

この海岸の沖にお台場があり、今や東京の名所の一つになっている。幕末の黒船防禦の施設なので、受け身的な感がある。品川沖を見渡すと、わが国の開国の歴史にふさわしい前向きな史実がある。わが国海軍の基礎を築いた勝海舟が万延元年一月にここで咸臨丸に乗り込み、門下生を率いて浦賀港からサンフランシスコへ出帆した。短期間ながら同地で米国社会を見聞して同年五月に浦賀港を経て品川沖から上陸した。周知のように、わが国で最初に日本人の手で西洋式大型船を運航して太平洋を横断した快挙であった。長崎等で学んだ西洋の知識を自ら太平洋で試した実行力と海軍魂の勇気のなせるところであった。サンフランシスコでは驚きの念の下大歓迎され、日本人の顔を米国社会に見せた。品川沖にも現れた黒船の大騒動の末の和親条約の締結も、開国の歴史上重要であった。他方、咸臨丸は鎖国以降始めて公に外国の港に入り、わが国の開国の意思を現地で示したことになり、画期的な出来事であった。 

開国後、わが国は太平洋を主たる通路として諸外国との交流を進め、発展してきた。第二次大戦後は、太平洋は地域協力の場として役割が増大した。経済の分野で見れば、たとえば一九六〇年代から西欧での経済統合の進捗にも影響されて、太平洋沿岸諸国間の貿易の自由化や経済協力を促進するため種々の構想が進められた。その結果、政府間の組織として一九八九年(平成元年)十一月に沿岸の途上国が参加して「アジア太平洋経済協力会議」が発足した(現在は二十一の国と地域参加)。益々「太平洋の時代」となった。

最近、同じく経済の分野で、東アジア経済或いはエネルギー共同体や東南アジア諸国との自由貿易協定が提唱されている。今世紀において、わが国がこのような姿勢で対応する海洋国家として活躍するよう願われる。私は一市井人として、このような動きを「ウオッチ」して、喜寿を越した余生を過ごしたいと思っている。

帰路は、繋船池の跡を見に、校庭の裏側の新海岸通に回り、新天王洲大橋に向かった。橋から海岸を見ると、短艇を吊った昔のダビットは撤去されていたが、昔の場所は使われている。橋の反対側からは、校庭に展示の帆船「雲鷹丸」や若干の校舎が垣間見られた。

橋の欄干に暫し寄り掛かっていたが、背後の道路を疾走するトラックの轟音で、思い出はかき消されんばかりであった。陽も大分西に傾いたので、初冬の薄日を背に、モノレールの天王洲駅に向った。

 

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