黄  昏

C 引 地  文 昭

 

 数年前から、三七会本部が文集発行を計画し、原稿を集めていることを知っていたが、凡そ、小生には無縁のことと聞く耳を持たなかった。

平成十六年十月下旬に、水谷弘文集編集主幹から「向こう二、三カ月の内に、原稿用紙四、五枚の文集原稿を作成し、本部に提出すべし」との厳命を頂いた。海軍経理学校在学中の訓練の賜物か、爾来、約六十年間、会社在籍中は言わずもがな、所属団体の上司の命令には、理由の如何を問わず、直ちに拳拳服膺する習性が身に染み付き、この度も条件反射的に、「一旦筆を絶っていたのだが、命令ならばやむをえない」と復命してしまった。

現役中は、命令を奉じて各種の任務を休む暇もなくやり遂げて来たが、意識せずして多数の人に多大な迷惑を及ぼす結果となった。一つの任務が完了すれば、振り返ることもなく、直ちに、次の仕事に取り掛かるのを常とした。その結果、恩返しもできぬままに、かなりの方々と幽明境を異にするに至り、重い負担が心の中に堆積して行った。それが、過去を振り返り、筆を執ることをすまいと決めた最大の理由であった。退職後、一度はボランティア活動をして、報恩の一端にしようかとも思ったが、その勇気もなく、逆に「過去を振り返ることをせず、家人と二人で老母の側に移り住み、静かに余生を送る」と決心し、子供達を東京に残し、生まれ故郷にUターンをした。

ここ二、三年、小生は食事の途中に、突然「アッ」とか「ウッ」とか奇声を発することが多くなった。それは、現役当時に満座の前でとんでもない失敗をし、身の置き所もない思いをした時のこと、或いは、心ならずも他人を誹謗し、申し訳なさに身も縮む思いをしたときのことなど、何れも、長い間、心の奥に押し込めておいた記憶が、何の前触れもなく突然蘇って来た時である。側にいる家人は、その都度怪訝な顔をして目で説明を求めたが、小生が「入れ歯が外れて歯茎を傷めた」とか、「食べ物が喉に詰まり苦しくなった」とか、適当に弁解を繰り返しているうちに、何かを隠しているなと気付き始め、最近は奇声を発しても全く反応せず、無視するようになった。小生も素直に「有り難い」と思えばよいものを、今だに奇声を発する度に「死ぬまでに、一度はまともに説明をして置かなくてはなるまい」との重い宿題を反芻している。

一昨年、中日の星野監督は阪神に移籍し、監督としてリーグ優勝を果たしたが、シーズン中、度々、ベンチの中でチック症状に似た首振り動作を繰り返していた。小生の奇声もその種の症状の一つではなかろうか。気障に言えば、それは我慢が限界に達し、思わず体外に放出された無意識の呻きでもある。

友人の内科医に、この奇声問題について意見を求めたところ、「チック症状群を云々するより前に、早く老人性鬱病の方を診てもらったらどうか、精神科医を紹介するよ」と答え、「老人になれば、年年歳歳、身体のあちこちが悪くなるのは当たり前で、その流れに無益な抵抗を続けるのは止した方が良い」と付け加えた。更に「分かり易く言えば」と前置きをして、「往時の麒麟も今では駑馬に等しい」と言い放つ。キリンは誇張にしても、ドバとは酷過ぎると、口の中でブツブツ呟く。

かくも簡単に「老人性鬱病」と決め付けられ、更に「余り無理をするな」と宣告されると、天の邪鬼を自認する小生としては、全く我慢がならなくなる。「それなら徹底的に肉体改造をして、少なくとも五十歳代の肉体能力を取り戻してやるぞ」とテンションが高くなる。一応、長年のベターハーフである家人にお伺いを立ててみた。ニヤニヤして「そんなこと出来ますか」とご託宣があった。「出来ないことをぬけぬけとよくも言えたものだ」と顔に書いてある。

「奇跡は、あるよ!」と小生は夢見る顔をしたに違いない。

もう、三十年も昔のことになる。二日酔いを覚まそうと、キングス・ポイント(米国の商船大学)出身の気の置けない米国人船長と、サンフランシスコ郊外のパル・アルトの美しい街を散策していた。彼が急に「フーバー・タワーのある『スタンフォード大学』のキャンパスを訪ねてみよう」と誘った。「西海岸唯一の名門大学だから一度は行ってみたいが、フーバー大統領には余り興味がない」と勿体ぶると、「タワー内には入らなくて良いから、兎に角、行ってみよう」とタクシーを呼んでくれる。街中からそんなに遠くないと言っていたが、かなりのスピードで十分近くはかかった。広い構内を通り抜け、車を置いて二人でタワーに向けて歩いていた。キャンパス内は閑散として人影もまばらであった。正面から一台の車が反対方向に通り抜けて行った。突然、後ろから「文昭さーん」と日本語での呼び掛けが聞こえてきた。それは日系二世特有のアクセントを帯びていた。振り向くと、何と二十年以上も会っていなかった従姉妹が小さな男の子を連れて車の側に立っているではないか。あまりに突然なので、彼女の名前を思い出せない。英語の呼び名の「バイオレット」が思わず口に出た。船長に私の従姉妹のバイオレットだと紹介をした。米国人同士の二人にとっては英語で話すのが当たり前で、互いに、如何にしてここを訪れたかを夫々が長々と説明しあっていた。英語に余り明るくない相手の少年や小生は、些か手持ち無沙汰となり、キョロキョロと意味もなく辺りを見回し、時に、頷いてみたりしたのを覚えている。

このような出会いを、日本語では何と言ったら良いのか、「奇遇」とでも言うのであろうか。英語では「オー、ミラクル」と言われるに違いない。私とバイオレットとはそのときまで太平洋を挟んだ別の世界に住み、長期間音信不通であった。また当日は、双方とも全く無関係にスタンフォード大学を訪ねた。しかも、フーバー・タワーへの到着が一分でも遅速があったら、互いに気付かずにすれ違ったに違いない。

誰がこのような出会いを設定したのか、確率からして、神の思し召しと言った方が判り易い。

今では「奇跡は在る」と信じている。いや在って欲しい。

 

 寄稿文目次へ戻る                         次ページへ