いい答えはいい質問から

                  B 原   壽  雄

 

垂水の丘の授業では、毎回質問した。せっかく東京から出張講義に来てくれる大先生たちに、クラス全体が居眠りしたままでは申し訳ないと思ったからだった。自分自身にとっても眠気覚ましだったに違いないが、今思えば、「質問」を職業とするジャーナリストの道を選んだのは、このときからの因縁かもしれない。

「いい答えはいい質問から」という原理を悟ったのは、共同通信の社会部記者になってから十年も経ってのことだった。以来、「優秀なジャーナリストとは優秀な質問者である」というテーゼを立て、『ベストクエスチョナー』たらんと心がけてきたが、今なお志は果たせていない。時、所、テーマに応じてどんな相手にも的確な質問をし、意味のある事実やオピニオンを聞き出すのは難しい仕事である。

相手がしゃべりたいことを聞くのでは、ジャーナリズムにならない。相手が言いたくないことをどう聞き出すかが勝負である。それには知識も見識も、人間としての誠実さや真実に迫ろうとする意欲も、不可欠になる。記者の取材とは人から話を聞くことの積み重ねであり、インタビューはいつも一人の人間としての総力戦になる。トータルな人間―人格としてのでき具合が、インタビューの成否を決める。

記者活動をこんなふうに考えてきた者から見ると、このごろの若いジャーナリストには、軽薄な質問でお茶を濁している者が多い。人権問題その他ニュースの扱い方などについてコメントを求められるたびに、「君はどう考えるのか」と聞き返すと、ろくに答えられない記者が少なくない。上から指示されて電話に飛びつくだけで、何のためのコメントを取るのか、考えた形跡が全く感じられない。去年四月から「放送と青少年に関する委員会」の委員長もやっているので、時間をかけたインタビューを受けることも結構ある。そんな時には、最初に、「いい答えはいい質問からしか引き出せないよ」と先輩風を吹かせて言うことも多い。

「質問」とは問題意識の具体化である。「新聞を見ればその国の民度が分かる」と言われるが、新聞の内容は現代社会に対する記者たちの問題意識の一覧表である。政治に対する記者たちの質問のレベルが低いから、いつまでもこの国の政治のレベルが上がらない。経済に対するジャーナリストたちの問題意識がお粗末だから、いつまでも無為無策が続く。そう言っても決して間違いではない。

世の中の悪さをすべてマスコミの責任にするのは言い過ぎだが、批判業を自認するマスコミの問題意識が安直、軽薄、マンネリなために、真の社会変革に結びつかないのではないか。政治も経済も社会も、日本は今、「一望の荒野」と呼ぶべき惨状を呈している。それは私にとって、ジャーナリズムによる批判があまりにも役に立たない惨状でもある。批判の質が問われている。記者たちの質問―問題意識を変えるべきときが来ている。そう思えてならない。

 

寄稿文目次へ戻る                         次ページへ