一期一会

K 弦  巻   修

 

昭和二十年(一九四五)八月、神戸の垂水にあった海軍経理学校を離れたのは、天気のいい日であった。家族の住む茨城県真壁郡上妻村(現下妻市)の家に帰り着き、弟妹たちとこれから先のいろいろなことを語り合い時を過ごした。その中で、先ず食糧不足の解決が急務であることが判ってきた。

戦時中、私の家族は九人いたが、母方の実家のそばに一軒の家を借りて疎開生活をしており、父は単身東京で会社勤務をしていた。母は昭和十九年九月に病により他界、長男の私と次男は夫々海軍と陸軍の学校に在り、母の死後、中・小学生の三男と妹三人の面倒を見るために、止むを得ず嫁に行っていた姉が帰ってきて世話をしている状況にあった。母方の実家から少しばかりの畑を借り、やがて陸軍から帰ってきた次男と二人で、軍隊仕込みの体力を活かして畑を耕し、その半分に麦の種を蒔き、後半分にじゃがいもを植え付けた。これが翌年の収穫となり、戦後の食糧不足時大いに役立つこととなった。

この農作業時、専ら農業の知識を与えてくれた近所の百姓さん、更には我々の作業を見ていた百姓の先輩が百姓になることを勧めてくれたり、また、別の長老は、「いやいや、百姓というのは、小さい時から農作業を手伝い、長時日をかけて農作業を身につけている。君等は今から学問を学び、それから社会に出たほうがいい」と諭してくれた。この時の長老たちの話は、今だに忘れることができない。

帰省後間もなく、旧海軍経理学校のお世話で東京商科大学予科二年に編入させて頂き、昭和二十五年三月に卒業するまでの五年間の学生生活は、正に私の人生航路を定める貴重な時間となった。この五年間に私を指導してくださった二人の先生のことを書き記しておかなければならない。お二人とも既に故人となられたが、一人は東京商科大学の高橋泰蔵教授である。先生には学部の三年間、ゼミナールの担当教授として個別指導をして頂いた。経済社会を生産、流通、消費という循環として捉え、それに関わってくる金融の作用を念頭に置きつつ、経済発展の理論を考えてゆくのが、当時の私のテーマであった。当時日本政府は、戦争で荒廃した国土を復興させるため、鉄、石炭の生産を中心に傾斜生産政策を採っており、私もこのテーマに使命感のようなものを感じていた。先生の指導は、古典に基づくものの見方、考え方が中心であり、経済学の基本を徹底的に教えて頂いた。

先生の書斎に貼ってあった先生自筆の宮沢賢治の詩は、今でもはっきり記憶に残っている。先生の人柄を偲ぶ詩として書きとめておきたい。

雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモ負ケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 欲ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル

一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ      ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイイトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボウトヨバレホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニワタシハナリタイ

(昭和六年十一月三日 宮沢賢治手帳より)

もう一人は、山本和(かのう)牧師である。商大予科時代のある日、学校の掲示板に貼ってあった一枚に目が止まった。貼り紙には「来たれ!!」「鷺の宮―家の教会」牧師山本和と書いてあった。早速日曜日に場所を調べて行って見た。キリスト教の教会であるから、礼拝に出席したわけである。そのときの牧師の情熱的説教は心に響き、それからの学生生活の中で、教会生活が一つの位置を占めていくことになった。海軍生活から離れ、戦後の学生生活を始めたその頃の私にとっては、やはり心の置き所が不安定で、ことに当時の日本社会は思想が混乱しており、一般的に社会主義思想勃興期の感があり、戦後の物不足がこれに拍車をかけていた。教会に集まっていた人たちは学生が多く、文科系、理科系、医学系等男女とも種々の学生がいた。礼拝後のひと時、皆でよく語り合った。牧師も仲間に入っていた。話題は敗戦後の社会問題、自分達の将来、宗教と政治等であり、特に社会思想について語り合った。現実的にも進駐軍管理下の日本で国鉄を舞台にした松川事件、三鷹事件等が起こり、企業のストライキは頻発し、遂に全国的ゼネストが計画された。これはマッカーサー司令部による中止命令により事なきを得たが、企業と労働組合との争議はその後十年は続いた。私はこのような社会情勢の中、昭和二十五年春、石炭生産を行っていた三井鉱山(株)三池鉱業所(福岡県大牟田市にあったが、現在は廃鉱になっている)に就職した。就職後も労働組合運動は激しさを増して行き、昭和三十五年三池鉱業所の合理化推進とそれに反対する労働組合との話し合いはこじれ、遂に全国の炭鉱会社とその労働組合を巻き込み、いわゆる総資本対総労働の争議として世界的ニュースにまでなってしまった。日本政府は、社会問題として黙視できず、まず仲裁に入り、労使双方とも次第に矛を収めて話し合いを進め、争議は鎮まったが、社内的に課題を残し、何といっても社外的に多大の迷惑をおかけしたことは深く反省すべきだと思う。

平成四年(一九九二)三井鉱山(株)を離れた私は、現在、東京都中野区鷺宮にある「日本キリスト教団白鷺教会」に籍を置いて、地域の人々とともに社会奉仕の日々を送っている。故山本和牧師は、私の精神面の教師であり、感謝をこめてここに記しておきたい。マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に示されている職業観は、「近代資本主義が発展した背景にあるのはプロテスタンティズムの倫理観であり、今やっている仕事は神様があなたに与えている仕事だ。あなたは自分が力のない土の器だと思っているかもしれないけれど、神様が力を与えてくれる神のコーリングだと思って仕事をやれ」ということである。私はこれまで生きられたのは神様の恵みだと思う。私が今ここにあるのは、神様の恵みによるんだと考えられるのは幸せだと思う。今まで神様の言われる仕事を一生懸命やってきたが、これからは何をもって神様に報いることができるのか、捧げることができるのかという考え方で老後を過ごしていきたいと思っている。

「私たちは知っているのです。苦難は忍耐を、練達は希望を生むということを」(新約聖書、ローマの信徒への手紙、五章三―四節)

 

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