男の生涯          

F 久 米  孝 彦

 

 最近虎の門病院で胸部レントゲン写真を撮ったところ、若い、といっても四十三、四歳の東大医卒の循環器専門医師が、写真を見て「これはひどい肺ですな。どうしたんですか」と私に尋ねた。     思い起こすと海軍から復員後、同期の西尾邦彦と、大牟田市沖の有明海の激しい潮流の中を泳いだことがあり、そのとき高い熱が出た。大牟田市最大の三井病院へ母と同行したところ、担当医師が、私に席をはずさせて、母に「肺がやられている。絶対安静にして、精一杯の栄養食を与えよ」と指示、来診の度にカルシウムの大きな静脈注射をし続けた。今般、虎の門の医師が驚いたのは、おそらくそのときのもので、胸部一杯に広がる白いカルシウムの結晶の影だったのだ。

 半年間、隔離監禁状態におかれたが、無事快復して佐賀高、東大経済学部を終えた。この間ずっと松井邦彦(同期)と同居していたことは、前に松井への弔辞の中で既に述べた。

 電力会社の技師だった父の努力で、就職には苦労しなかった。折角受諾されたのに勧銀や長銀を断り、滑り止めに用意された大和銀行に入った。父は落胆したが、私は自分の人生は自分で決めたかったのである。それは、前の二行は立派な方の紹介だから、入れてやるという立場で扱われたが、大和は東京駐在の筆頭専務吉村氏が私に繰り返し懇請した。これが、その後の私を大きく動かして行く。  

最初、大阪本店勤務を命じられたが、吉村専務は強引に東京支店勤務に変更させ、自分の膝元に置いた。いきなり貸付係に配属、四十数社の融資担当となった。東京支店の貸付係には四年半もいたが、専務が頭取との抗争に敗れ、東亜石油の副社長に転出すると同時に、私は東京の下町、三ノ輪の小さい営業店に移された。私は、ここで大和を辞める決心をした。みじめな経験だった。たまたま「インドネシアに合弁銀行を作るので、興味のある者には、週一回夕方五時からインドネシア語を教える。希望者は人事部に申し出よ」と通達があり、応募した。一年後講習参加者に試験があり、私が選ばれて、インドネシアの銀行の貸付課長として出向することとなった。

 この仕事はとても面白かった。前任者達が残した不良債権をすべて回収し、新しい融資方式に替えて収益は急増し、遂に配当するまでになった。二年半後帰国すると、又もや誰がやっても全然伸びない店を任され、三年で五倍に伸ばし新店舗も作った。いわゆる一選抜(同期入社のトップクラス=エリート)で昇進して行った時代である。

 ここで又問題が起きた。人事担当専務が私を呼び出し、オセアニアと、アメリカ、ヨーロッパへ十カ月の研修旅行にやってやるが、行く気はないかと誘われた。ひそかに人事OBから電話があり、来年しかるべき支店の長で栄転する予定なのだから、専務の話は断るべきというのである。

 私は、既に遠からず大和を辞める気であった。それには是非世界一周に近いトレイニーという名のご褒美旅行で、ニューヨーク・ロンドン・パリと、南半球の雄オーストラリア、ニュージーランドを歩くことは、願ってもないことだと思い、受諾した。人事部OBの忠告は帰国後の各種トラブルで的中した。外国をみた者は、経営者とトラブルを経験することが多い。長くなるので細かい話はやめて、結局イギリスの銀行に移り、開店業務からやり成功した。十二年おり、イギリス人達に引き止められたが、自分で会社を設立することになつた。

 六十歳を目前にして、人材紹介会社を作った。三人で始めたが、一年過ぎても儲からないので他の二人に資本金を返却した。そうしたら風向きが変わって、収益が出始めた。国際金融専門の人材会社は当時少なかったので、外資の進出が激しくなって、面白いように仕事は伸びた。ヨーロッパ・アメリカ・東南アジアと出張は続いた。特にロンドンは、安いホテルを常宿として再三訪問した。派遣事業を開始し、欧米一流銀行にベテランをどんどん派遣し始めた。中国からも大手の地方財閥から電気部門再建のため、専門家五人を二年間派遣してほしいと要請がきた。海外派遣の仕事は特に面白く、インドネシア・マレーシア・パキスタン・フィリピン等々次々人材を出していった。当座預金残高は常時数千万円はあり、社名も上がり、有名週刊誌が続々我が社を記事にし、遂にNHKのゴールデンアワーにまで出るようになった。 

 しかし、人材会社が挙って国際金融市場に参入して来、競争は年毎に激しくなっていった。そして昨年、妻が一カ月近く入院した。彼女は経理担当役員で激務だった。私達は既に七十歳の大台に乗っていた。富士銀出身の鈴木に社長ポストを譲る予定だったが、彼も病に倒れた。見切り千両の言葉通り、思い切ってやはり東大法卒富士銀OBの後輩に譲った。

 「おもしろうてやがてかなしき鵜舟かな」

 

 

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