六十年の回顧と雑感

B 武   和  久

 

「コレ、早く寝なさい!電気が勿体無い」。春とは名ばかり寒さの残る昭和十九年三月中旬、布団部屋で夜中の三時頃、父に叱られた。

商業学校四年生で、海軍経理学校受験のため、教科に無い数学一・二類、物象一・二類は独学で勉強していたのだ。

初めて父に陸軍経理学校、海軍経理学校両方の受験希望を申し出て、許可を貰った。

五月に身体検査があり、七月二十日から二十四日まで学術試験が行われた。大阪府立大手前女学校であった。大勢の受験者が集合していたが、皆秀才に見えて若干気後れがした。国語、歴史、数学(一・二)、物象(一・二)、英語、口頭試問が行われたが、毎日あの有名な篩い落としが行われ、机の上に受験票が並んでいる者が落とされて行く、今日はもう駄目か?と三日目に思ったが、朱筆は私の受験番号の上には踊らなかった。ヤレヤレである。 

純白の第二種軍装の主計中佐が試験監督で、下士官数名が補佐していたように思われる。あとは合格発表を待つだけだ。海軍へ行きたいという私に対し、母親が猛烈に反対する。戦死する率が高い、両方合格しても陸軍へ行くようにとのことであった。父は中立で、どちらか早く通知が来た方へ行くようにと言い、母も私も納得した。

さて、九月始めに帰宅すると、父が海軍経理学校の電報の方が早く着いたと、両校の通知を出して海軍に行くようにと言う。母もしぶしぶ承諾したが、実際は陸軍の方が約一週間早く来て父が受け取り、すり替えてくれたようである。厳格だが反面優しいところもあったようだ。商業学校から二名受験し、友人は海軍が不合格となり、陸軍経理学校へ行ったが、毎日一緒に陸軍経理学校へ行こうと誘惑して来たが、私は海軍へ行くと断る。

昭和十九年十月一日特急つばめで上京、品川本校に着校後、直ちに身体検査があり、数名が即日帰郷となったが、幸いにも合格、第一種軍装で晴れやかに十月九日の入校式に臨み、父も大変喜んでくれたようだ。

最初の約一週間はお客様扱いでなかなか快適な学校だと喜んだのも束の間、娑婆っ気を抜いてやるとかでストームの嵐、一号生徒も大変だったと思う。五倍もいる三号を何発も殴るのだから! 総員起こしのスピード争い、毛布の畳み方、総短艇、櫂を流して怒号が飛び小便が満タン、やっとダビッドに艇を吊り上げ便所へまっしぐら、便器が四個、一・二号生徒の方は空いているが、三号は長蛇の列。陸戦隊用意から長途の駆け足、遠泳、相撲、柔道等々の体力の強化、精神力の涵養、懐かしい思い出が走馬灯の如く頭をよぎる。

昭和二十年二月に垂水分校に移り、三五期(一号)生徒の卒業が三月三十日、やっと二号だ。四月十日に三八期生徒が入校した。

八月二十二日、終戦により帰郷したが、生家一帯は焼け野原! 零からの出発だった。

それから六十年、誠実に人生を生きてきたが、海軍生徒時代(たった一年弱)の体験、精神力が支えとなって、戦後の混乱期、高度成長期、その後のバブル時代から低成長期も乗り切ることができた。

若年期の教育訓練が如何に大切かを身にしみて感じる。

一生懸命生きた私たちの青春時代に比し、最近の若年者の生活態度はフリーター、ニート等自己中心で公益心無く、目にあまるものがある。老人の繰り言かも知れないが、情けない状況で、戦後教育の失敗によるものと思われる。最近、学力の低下が問題となり、見直しが始まり、愛国心の教育の必要性も言われている。

三七会の諸兄も喜寿を過ぎ、超高齢期に入り、大半の方々が現役を退かれ悠々自適の生活に入られた。私も娘が二人、孫四人、ひ孫五人のにぎやかな老齢期に達したが、今だに現役で毎日労務、人事管理、年金、医療保険、等々に取り組んでいる。

若年層の特徴として、賃金、休暇等の権利主張が多い一方、労働意欲がやや喪失気味で愛社精神に欠ける点が多く、困ったものだ。

「愛国無罰」、中国における反日デモ、韓国における反日感情等々、靖国神社参拝やら歴史認識の問題、領土問題等暴徒の群が日章旗、特に軍艦旗を焼いているのが耐えられない。最近は腹立たしいことが多すぎる。昔ならと考えるのは、老いた証拠かも知れない。しかし、もう少し日本人も愛国心を涵養しなければならない。

今、日本の人口は約一億二千八百万人で、内約一九・五%(二千五百万人)が六十五歳以上の高齢者となり、更に来年度から高齢者の増加が急ピッチに進むと考えられる。社会保障制度が少子高齢化社会に適合するように論議されているが、給付と負担の見直しにより年金の漸減、医療費の負担の増加、介護保険料の負担増に加えて税制改革が高齢者を直撃し、老年者控除五十万円の廃止、年金控除額の削減、他に定率減税の半減?等、税負担の増加が年々重くのしかかり、消費税の税率上昇?の気運となってきた。家計が次第に圧迫されるようだ。

少々暗い記述になったが、生活防衛に配慮が必要な時期である。

三七会幹事の方々のご労苦に感謝し、諸兄のご多幸を祈りつつ拙筆を擱く。

 

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