末尾の分隊のその又末尾の一生徒の戦後報告

Q 尾 木  竹 七

 

一八分隊は、三七期の末尾の分隊であり、私はそのまた末尾(身長順)に属した。今往時を振り返ると、この短い十カ月余の海軍生活が、意外に大きく我が人生に影響を与えていたことを痛感する。

祖国の復興は、経済再建以外に道がないとの漠然たる思いを胸に抱いて垂水を去って以来、この思いが私の心に沈殿し、その後の行動の規範となってしまった。

昭和二十九年、当時新設されたばかりの長銀に転じたが、長銀法の使命に沿って、日本の産業の振興に若干なりとも貢献できたことは幸いであった。しかし、産業界のなかで実際にその成長に貢献したいとの気持ちが強くなり、第一次石油ショックの最中、業績悪化に苦しむ石油精製会社に出向した。その再建が終了すると、次は成長を模索する中堅メーカーの一員に加わる幸運に恵まれ、十八年間同社で労苦を共にした。二十世紀末私が同社を退社するとき、同社は世に認められる特色ある国際企業に成長していた。そして、ここで、厳しい国際事業に参加できたことは、私の貴重な財産となっている。

しかし、垂水の誓いもここまで。自分の人生の総仕上げを行うべく二十一世紀に入るや、ビジネス社会と縁を切り、ある勉強会に所属して、日本民族の起源や、その関連で中東・東アジアの古代史の勉強を開始した。ただ、シニアボケの身とて、勉強は遅々としているが、続発する難解な中東とのトラブルや、国際問題に対する深い洞察を欠いた日本人の甘い対応などは、今に始まったことでないことを発見。歴史を繰り返さないためにも、歴史を学習することの大切さを痛感している今日この頃である。

 

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