ひとりぼっちの夏

                 M 田 中  久 生

              

あの日、終戦の昭和二十年八月十五日から五日ほど経った昼ごろだった。

私は垂水の校舎近くの坂道で投げ出されるようにトラックから下ろされた。ひとりぼっちだった。熱い日差しに頬から汗が滴り落ちていた。時折作業着姿の下士官や兵と行き交うが、敬礼もしなければ目を合わせようともしない。がらんとした校舎には、残務整理のために居残った人たちの虚脱した表情だけがあった。

和歌山の海軍病院へ行く前に残していった私物を探しに、教えられた武道館らしい建物をのぞいた。中心部にはノートや文房具などが散乱し、周囲に毛布や衣類が乱雑に積み上げられていた。探しようもなく、途方に暮れたように呆然とつっ立っていた。

〈ああ、なにもかもなくなったんだ。消えてしまったんだ。〉懐かしい軍歌演習の光景がよぎり、校歌の歌詞が虚ろに響いて消えていった。

それが―――私の青春の、流れ星のような、十カ月間の海軍経理学校生徒生活の終わりの光芒であった。

六月の終わり頃からであったろうか、体がだるく、微熱が消えなかった。連日の野戦の訓練や防空壕掘りによる疲労のせいだったのか、肺に水がたまっていた。肋膜との診断で和歌山の病院送りとなった。七月十九日のことだった。

病院は閑静な高台にあって、約五十人の海軍関係者が入院していた。和室六畳間に二人の定員で、相部屋となったのは三号時代に同分隊のHだった。起床、食事、診察、就寝時間などはきちんと決まってはいたが、なにしろ一号、教官は不在で訓練、作業なしときているから“極楽”にきたようなものである。

若いだけに回復も順調だった。「早く退院して復帰しないと後がたいへんだぞ」とHとも話し合っていた。もちろん、親には心配をかけないため、故郷には音信せず。

そんな日々が続いていた八月十五日のことだった。朝食のあと部屋でやすんでいたとき、スピーカーで〈正午より重大ニュースの発表が行われるので、全員講堂に集合せよ〉という指示が流された。

初めて耳にする天皇のお声に全身が緊張した。そして、まさか、というよりは信じられないお言葉に、頭の中が真っ白になった。〈敗戦の詔勅〉ということだけははっきり理解できた。

部屋に戻ると、興奮したHが〈くそ!〉を連発しながら持参の日本刀を振り回しはじめた。呉にいる海軍大佐の親父さんのことを思うと残念でたまらない、という。職業軍人一家の子弟としてHの気持ちは十分に分かるが、たった一人九州にいる母親に再会できるという期待に、私の心の底に温かいものが流れはじめているのも事実だった。どう慰めて刀を鞘に納めさせたかは覚えてはいないが、一刻も早く帰校したいと願っていた。

そうこうしているうちに、病院内に不穏な噂が流れはじめた。階級意識の自壊であり、兵たちの下克上的行動だった。それまで直接兵たちに強制力を働かせていた下士官クラスを呼び出しては集団暴行を加えていたようだ。

確か、原隊復帰の日は詔勅の日から五日目だった。身の回りの帰り支度はほとんどないにひとしく、朝食後約十人がトラックの荷台に詰め込まれて出発した。

空襲で焼け野原状態になっていた神戸市内を通るとき、誰かが「おい、あれを見ろ」と道路脇に立つ焼けビルを指差した。窓ガラスもなく、赤茶けた三階の窓枠からわれわれのトラックの方を見下ろしている外人の顔があった。捕虜収容所から自由の身になって出てきたのであろう。はじめて敗戦が実感となって身をつつむような思いだった。

なぜか、このとき同室のHが一緒だったという記憶がない。病状から退院が遅れたのであろうか。(その後、人伝えに聞いた話では、数年後自ら命を縮めたという。その理由は分からないという。)

結局、教官、先輩、同僚、後輩の誰一人に会うこともなく、垂水を後にした。列車に乗る手続きをどのようにしたか。乗車券がどんな書類だったか覚えていない。来る列車来る列車、薄汚く、疲れ切った表情の復員兵にあふれていた。仲間たちがどのように励まし合いながら故郷に帰って行ったかに思いを馳せていた。

列車は手探りのような運行ダイヤだった。広島では列車が一晩中止まり、夜目にも見渡す限り焼けた市街地が望めた。形が残っていたのは、今にも崩れそうに傾いた駅舎の屋根だけだった。夜明けとともに列車は動き出したが、次の駅までの沿線の民家も軒並み傾いていて、はじめて原爆のすさまじさに鳥肌がたつ思いだった。

故郷、博多の駅に着いた。駅中心から周辺にかけて空襲の犠牲になっていた。郊外電車に乗り換えた。緑濃い景色に変わった。始発駅から四つ目の駅にわが家はあった。

家の藁葺き屋根と後ろの大きな二本松が目に入ってきたとき、私は立ち止まって深呼吸をした。そして、声を絞り出すように〈帰ってきたぞう〉と叫んでいた。

肋膜も、医者にかかること無く、いつのまにか自然治癒した。

 

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