海経で学んだ外国人

                 K 島 田  敏 夫

             

外国人で海経に入校したひとに、近畿三七会で活躍している、アメリカ人の市川和夫君(二分隊)と、ブラジル人の筆者(一二分隊)がいることは、日下君が何回か総会で紹介したが余り知られていない。もう一人ブラジル人の塚本雄一君(一三分隊)がいるが、同君は戦後ブラジルに帰化した人である。サンパウロに来た佐多和秀君(一四分隊)と三人で語り合ったことが懐かしいこの頃である。因みに、筆者の義弟坂本 勝(海経二八期の先輩で筆者の妹と婚姻)もアメリカ生まれで、終戦後は海幕で主に渉外関係の仕事をした。

運命の女神は、日本人の後裔である筆者をブラジルのサンパウロで誕生させる悪戯をした。フジモリ元ペルー大統領と同じ運命である。

ブラジルは巨大な国で、日本の二十三倍の大きさがある。具体的に表現すると、東西及び南北の距離が、それぞれ日本とシンガポール間の距離に匹敵する。アマゾン川の長さは世界一で、七、〇二三qあり、その河口には、九州と略同じ大きさのマラジョ島がでんと浮かんでいる。因みに、二番目に長いミシシッピ川が六、六五〇q、ナイル川は五、七六〇qである。日本で一番長い信濃川が三六九qであることからみても、いかに大きいか想像できると思う。もっと分かり易くいうと、日本の本土がすっぽりとアマゾン川にはいる。

その母国ブラジルに、奇しくも筆者は三菱商事のサンパウロ駐在員として一九四八年に赴任したが、ブラジル人としてのパスポートで渡航したのである。着任後しばらくして、ブラジルの陸軍省から召喚状がきた。ブラジルは国民皆兵で、兵役の義務は避けられず、筆者は即刻入隊ということになってしまった。海経に入校し、未来の海軍将校を夢みて、祖国に忠誠を誓った筆者は、短い一生の中でこんどは陸軍の一兵卒として、母国に忠誠を誓うことになろうとは夢にも思っていなかった。

だが、運命の女神は私を見捨てなかった。ドトール下元という、サンパウロ大学(塚本雄一君はこの大学の教授になった)をトップで卒業した優秀な日系弁護士の力を借りて、国民兵に編入させてもらったのである。国民兵というのは、身体障害者、精神薄弱者で到底軍務を遂行できない、最下位の兵隊につけられた名前である。その国民兵に編入させてもらう手続きのために、ドトール下元と陸軍省に出頭した。この時ドトールが、陸軍省のお偉いさんに言った言葉は、一生忘れることができない。

「今日は、大尉殿。貴部隊に所属している島田というのは私のアミーゴ(友人)です。よろしく。ところでレシフェ(ブラジルの北にある都市)で面白い話を聞いたんですよ。ある老人が老衰のため、まさに息を引き取ろうとしていたそうです。その時一人のお嬢さんが、ベッドの傍に来て、『お爺さん、今生のお別れに何か言い残すことはありませんか』と聞いたんですよ。するとお爺さんは、その娘の内腿を撫ぜながら言いました。『何も言うことはねえ。ただ、もう一度カストロに会いてえ』」

ここでブラジル人なら一斉にどっと笑う。大尉どのも大喜び。カストロとは、勿論キューバのあの髭もじゃ(当時は黒々、ふさふさしていた)の独裁者。その髭と娘の内股。即ち『死ぬ前にあと一度でいいから・・・・』というわけ。 

これがブラジル人のピアーダで、ちょぃとお色気が入っているが、猥褻な言葉をあからさまに使わずに人を笑わせるジョークである。ブラジルでは、ピアーダと政治の話ができなければ一人前の仕事ができないということを、筆者はこの時学んだ。

「ところで、君のアミーゴ島田がどうしたって?」

「どうでもええじゃないの。我々はアミーゴだ。この書類を準備したからちょっとサインしてよ」

上機嫌の大尉殿は、どこかの国の総理と同じように「よっしゃ、よっしゃ」と書類を見もしないでサインして、筆者は無事に国民兵になったわけである。

それから筆者は、ブラジル人としてブラジルの空気を吸い、ブラジルの料理を食べ、ブラジル語で生活をし、ブラジル法人(ブラジル三菱商事)に勤務し、選挙権を行使して、正真正銘ブラジル人として日本を始め世界を見た。日本の本社では日本人として、ブラジルその他の国を、言わば二眼レフで見る経験をした。

世界には現在国連に登録した国が百八十四カ国ある。そして筆者は、その約半数に近い国を訪問する幸運に恵まれた。その間見たり、聞いたり、知ったことを纏めて「国際ビジネスマン見た、聞いた、知った」と題して上梓した。

 

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