終戦、そして戦後

                 F 堀  田   穰

 

昭和二十年八月十五日、三年八カ月に及んだ戦争は敗戦という厳しい状況で終焉を迎えた。その夕方、垂水の生徒館から眺めた淡路島に、二つ三つの灯りが点っていたのを忘れることはできない。それは久しぶりに目にした懐かしい夜景であった。

それからの一週間は、身の回りの整理整頓と、教官、指導官達の「敗戦、そして今後」についての訓話等で過ごした記憶がある。その中での、計見教官の「ドイツは二十年で復活した。我々も二十年耐えよう。・・・・・ 」の言葉に、みな決意を新たにしたことであった。

八月二十日に生徒隊は解散、その夜「最後の晩餐会」が開かれたが、いまそのメニューは記憶にない。

我々『一、二部』の生徒は二十一日に「今後の指令を待つ」ということで、それぞれの郷里を目指し垂水の丘を去って行った。私は、先ず疎開先の御殿場に立ち寄り、一泊の後、焦土の東京に辿り着いた。途中、国府津で無蓋貨車に作業服のままの海兵七五期生に出会い、二種軍装のわが身に思わず安堵の気持ちを持った。それは雨の激しい夜のことであった。

九月に入ると、「連合国軍」(進駐軍)が全土に進駐し、それと同時に「連合国軍総司令部」(GHQ)も設置され、政治、経済、社会の全てに亘ってその命令に逆らうことはできなくなっていた。

昭和二十一年には「公職追放」が行われ、さらに「極東国際軍事裁判」(東京裁判)が開廷され、翌年には「日本国憲法」も施行された。こうして米軍占領下の戦後が始まったが、物資不足の混乱の中で、みな、再建を目指してよく頑張っていたと思う。

 昭和二十五年、朝鮮戦争が勃発し、沈滞のどん底にあった日本経済は息を吹き返した。その年、私は慶応大学を卒業し、慶応高校での四十年に及ぶ教員生活を送ることとなった。それから半世紀以上の時が流れ、日本は我々の想像を超えた大きな変化を遂げていった。 

 以前、友人が「何故こんな国になってしまったのだろう」と問いかけてきたことがあった。こんな国とは、一口で言えば『民族精神を喪失してしまった国』と言うことである。

かつて生徒にこんな質問をしたことがあった。「もし、外敵が侵入してきたらどうするか?」と。答えは「攻めてはきませんよ」、「山奥へ逃げます」、「降伏します・・・・ 」など。数年前、台湾の女性軍事評論家が言っていた言葉を思い出す。「日本が軍事力を強化しても怖くない。今の日本の青年達は、いざというときでも武器を手に立ち上がるものはいないであろう」。『新しい歴史教科書』が検定を通ったときの前外務大臣の言葉。「今だにあのように歴史をねじ曲げようとしている人たちがいる」。その後の記者会見の席で「・・・・・・・・・未だ教科書は読んでいませんので・・・・・・」。また、新聞に小学校の女の子の投書が載っていた。「先生と生徒は対等なのです。・・・・・」この投書は問題である。対等では教育はできない。人間としては対等であっても、経験と知識には大きな差がある。教職というものは聖職でなければならないと考えている。教師を労働者と見なし、日本人としての誇りを失わせてしまった教育を指導してきた「日本教職員組合」(日教組)の責任は余りにも大きい、と言わねばならない。

 戦後、自由主義、民主主義の国になったという。しかし、今だに自由主義、民主主義とは何か、を正しく理解していない日本人が多いのである。日本の教育はどうなっているのか。

 政治の世界を眺めても、真の政治家は少ない。が、また国民の政治に対する関心も薄く、共に極めて不勉強である。新聞にこんな川柳が載っていた。「日本のレベルを示す真紀子支持」 明治以来の外交は、まさに物言わぬ日本であった。戦後の外交にも、それははっきりと現れている。米国の植民地的支配下とはいえ、国益を大きく損なっている軟弱外交はいつまで続くのか。特に最近はそうした外交が目立っている。

 こうした状態は一体何処に原因があるのだろうか。その原因を一つ一つたどってみると一点に集約されると思う。即ち、それは「東京裁判」であると言える。

 「東京裁判」は「ニュールンベルグ国際軍事裁判」とは異なり、マッカーサーが行政命令として制定した「東京裁判所条令」により、日本という国家を裁いた裁判である。この裁判を「正義の裁判」と見るか、「勝者の敗者に対する復讐劇」と見るかで全く事情は変わってくる。しかし、勝者が一方的に敗者を裁く「正義の裁判」などあり得ない。戦争責任を裁くことができる法は「自然法」しかなく、それを行使しうるものは「神」のみである。

 では、「東京裁判」とは何であったのか。それは、占領政策を円滑ならしめるため、また敵対する物質的、精神的な力を喪失させるため、事後法(国際法で禁止されている)に基づいた勝者の一方的裁判であったと言える。一切の反論も許さず、裁判はもとより、占領政策、憲法への批判も禁止し、言論・出版への検閲も厳しくしていった。こうして日本は残虐な侵略国家に仕立て上げられ、国民全体が、「過去は全て悪」とした有罪意識を持たされてしまった。

 政治家、国民の多くが今だにこの裁判を尊重し、その束縛から抜け切れず、これを批判する者を「反省無き軍国主義者」として斥けているのは大変残念なことである。政治家も含め、国民全体が明治以後の正しい近代史を学び、[独立国家日本]を建設することを切に望んで止まない。

 

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