回  想

                 C 阿 部  虎 男

           

還暦を過ぎて間もない頃、「教職回顧」を「三七会だより」に載せて以来早くも十五年ほどになる。今回の事業の趣旨に合わせて再度筆をとる気になっていた矢先に、全く思いがけぬ初めての入院生活の勧めを通院先の医師から受けることになった。病は血液関係。貧血傾向の異常で、石巻日赤病院に一カ月余りのベッド生活を体験した。病床で横になりながら、人生を改めて考えることに努めた。

さて、わが人生と海軍経理学校三七期の生活体験、もともと軍人を望まなかった小生にとって、短期間ながら運命の出会い、それは生活密度の濃い、いつまでも繋がりの切れぬ何かを印象づける「三七会」の生活だった。特に、縁あって学校解散後も付き合いを重ねた、今は亡き二人の親友を忘れることができない。

一人は三号当時、同四分隊でよく殴られ、思いを同じくしたであろう品川在住の、篠塚清志氏だった。終戦直後石巻のわが家を訪れ、杯を交わして将来を語り、小生もその後二、三度上京の際、彼を訪ね一夜を共にし、その頃の日劇などを初めて案内されたことを思い出す。眼科医をしていた髭の濃い温厚な若き友を忘れられない。二人目は、彼の紹介で知り合った異分隊の片山 潔氏である。小生の定年間近の頃、彼は自身の親族の昔の生活追究が目的で、夫妻で我が家を訪ねてくれた。駅に迎えたときの彼の長身白髪の紳士風のスタイルが、今でも眼に浮かぶ。彼の祖父の終焉の地、牡鹿郡雄勝町まで車を飛ばし、公民館長のお世話で昔時の証拠書類を見せてもらい、看守の仕事を全うされた現地を偲び、両夫妻で杯を交わしたことが思い出される。その後、彼は宿命の病に罹られ、「回想」二冊と「山の思い出」の自分史を完成させて、三年ほど前に逝去されたこと、ただ運命の無常を痛恨するのみである。彼が雪山を愛し、自ら踏破にも挑む人柄であったことを羨ましく思う。奥様の禮子氏は著名な画家で、経歴豊かな個性あふれるタッチの油絵を寄贈して頂き、洋間の雰囲気に美と活力を添えてくれている。もう一人、仕事の序でに石巻まで脚を運ばれ、牡鹿半島の孤島「金華山」を案内した現「三七会」文集編集主幹水谷弘氏とのドライブ旅行も忘れられない。いつの日かまた三陸海岸でご一緒したいと思っている。

「三七会総会旅行」には、還暦直前の「垂水総会」以来殆ど愚妻同伴で八回出席している。その都度、旧懐を温めた全国の友は数知れない。中でも印象深かったのは、平成元年の四国徳島総会の阿波踊り実演、平成七年の秋田、山形総会での花笠踊り実演だった。特に、後者は、平成三年の仙台総会での松島「大観荘」での小生夫妻歓迎踊りがきっかけとなり、山形の「三七会」花笠踊りへの参加となった。宿での二、三回の手習いのあと、メインストリートを宿の浴衣に赤襷の姿で、独特の踊りをやってのけたあのファイトは、今思うと不思議で、身のほど知らずの感を覚える。「三七会」旅行に付随しての名所旧跡探訪のおかげで、国内の所望地は殆ど見学することができた。小生の旅行好きは、その後の海外旅行への挑戦に繋がった。古稀の一年前から五カ年の間に、欧州旅行二回、カナダ一回の写真撮影旅行実践となった。常に愚妻の補助を必要とし、人生の後半に、日本では得られぬかけがえのない体験と見聞を広め、人間をひとまわり大きくするような実感を味わうことができた。忘れ得ぬ二、三の印象を挙げると、アルプスのモンブラン山群の広大な眺望、ローマの寺院建築、殊更眼に迫るサンピエトロ寺院の豪壮華麗な彫刻美術、そしてカナダの自然の壮大さと森林湖沼の絶妙な色彩感など。二回にわたるパリ訪問で、特にセーヌ河遊覧による沿岸の建築、風物鑑賞のひとときは感動の連続であった。体力と気力次第では、今後も訪問の機会をつくりたいと思っている。

さて、総括として小生の人生を考えてみたい。子供の頃、何になりたいという希望があっただろうか。青春時代があっただろうか。どちらも否に近い。ただ、好きで机上の勉学はやったが、受験に備えてのものが多かった。運命は、時代に呼応して軍関係の学校へ。かくして終戦、理数科系に復学、工学部建築科に籍を置いたが、将来興味と能力を自在に発揮できる仕事を目指して研鑚する気力は、当時の環境では残念ながら持ち合わせず、迷いもあったが、結局は眼先の安易な道の選択に傾き、当時の教職の需要も多く、別の世界のような気もしたが、生涯の仕事として情熱をかける人生となった。かくして三十余年、生徒との出会い、教師との付き合い、転任、昇進、そして何よりも根幹となるべき教育観の確立への研修があっという間に経過して、知らぬ間に還暦を迎えた。毎年のように教え子の同期会に招待を受けるが、現在の彼等の成長の姿を見ることと、かつて教室内で授業していた時の小生の印象など話してもらうのが最大の楽しみである。

年明けて間もなく、喜寿を迎える年齢となった。「三七会」のほかに退職校長会、町内会などの繋がりもあり、結構付き合いも多い。その合間に数少ない趣味を活かして楽しむことは生き甲斐に結びつく。写真、絵画(鑑賞)、書道など、折を見て美の追求を楽しむことを欠かさぬようにしている。特に、写真は旅行などの引き伸ばしを額に入れて自室に展示し、常に当時を追憶して楽しんでいる。絵画、書道も、実践に結びつけたいといつも思う。年齢を乗り越えて前進あるのみである。

かつて国の存亡にかかわる一時期を共に過ごした「三七会」諸兄は、その後能力発揮の進路を全うされ、現在、余生を楽しんでおられると思うが、今後も健康に充分留意され、お互いの交わりを更に深めてゆきたいと思う。     【平成十五年四月二十三日永眠】

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