いつか来た道

                  B 寺 尾  忠 和

 

 ダイエイが、産業再生機構の支援を申請したと聞き、何か心に懸かるものを感じて、三十数年前の「沖縄返還」に関わる闘争や、交渉を思い起こした。一九六九年十一月の佐藤・ニクソン声明から七一年十一月の「沖縄返還協定」衆院通過まで、約二年間の過程である。当時、沖縄には、R生命とO生命の二社が営業しており、夫々の労組が「全国生命保険労働組合連合会」(略称生保労連)に正式加盟していた。私は、七〇年八月から、七二年八月まで生保労連中央執行委員長に選任されていたため、決起集会や国会へのデモに率先参加したが、本土復帰後の二社の存続を含め微妙な交渉にも携わることとなった。

 七〇年六月、生保労連は沖縄本土復帰に備え、現地二単組の要請もあり、調査団を派遣した。私もその一員として参加し、琉球政府を始めとして、各産業の会社幹部・労組幹部を訪問して、意見を聴取するとともに、戸別訪問も実施して生保需要の動向を探求した。その上で、R生命・O生命を訪問し、社長以下担当役員方の本土復帰に向けての構想をお聞きした。

 R生命は、米国の生保会社約千八百社中の六百番位にランクされており、従って、存続の方向で鋭意検討中であり、O生命は、規模的に、本土各社に伍して営業することは困難と考えるので、商品その他で指導・提携をお願いしているK社に吸収合併して頂くよう交渉中である、とのことであった。

 R生命労組は、会社方針に対し、非常に懐疑的であり、安易な資産流出を防ぐためにも監視を強めなければならない、O生命労組は、会社方針を略了承し、組合員の地位保全を目指す闘争を進める、と夫々の立場の相違を鮮明に打ち出していた。

 私達調査団は、新商品の開発・営業員の指導教育如何によっては、発展の十分望める市場であることを報告し、各単組の取り組みを了とした。因みに、R生命の資産・営業規模は国内大手生保の約一%であった。

 このような環境の中で、七一年闘争は始まり、R生命労組から支援要請があった。前年の経緯もあり、私が行くことになって、ビザの申請をしたところ、早速に政府筋のO氏から「至急面談したい」との連絡を受け、神田の喫茶店でお会いした。O氏は、個人の話として聞いてほしいとの前提に立って、「R生命は従業員千名を擁する沖縄最大の産業であり、地場産業とも融資等を通じて密接に結ばれている。また、総合病院、大学を設立して地域社会への貢献も計り知れないものがある。そのR生命が本土復帰と共に存続できない事態になれば、大変な社会不安を招きかねない。政府は、R声明の存続方針を支持・支援すべく諸々の方策につき検討中のところ、R生命から『復帰前に本土に進出し営業基盤の強化を図りたい』との申請をうけた。早速にも当該意向を受け入れるべく準備中であるが、R生命労組が『無謀である』と反対を表明し、政府としても当惑しているのが現状である。貴方は、近々に春闘支援に行かれるようだが、是非両者の調整を図ってもらいたい。因みに、政府は、労組の了解があれば会社方針を全面的に支援する予定である」と語られた。私が、独立商品の開発及び営業組織の規模・構想について質したのに対し、柔軟に対処したいとのことであった。私は、趣旨はお聞きしたとして別れ、直ちに生保労連本部に帰り、O氏の意向を本部役員諸氏に伝え、夫々の意見を聴取した。大勢は、「労組員に不利な条件・しわ寄せがないことを前提として、経営権の問題として捉えるべきであるが、労組の主張どおり至難な問題であり、政府は問題を先送りしているに過ぎないのではないか」と集約された。私は、厳しい立場に自身があることを痛感したが、七〇年暮れにR生命K社長と偶々懇談した際、「最悪の節はN生命にお願いすることになっている」と不図洩らしたことを思い出し、N生命の意向を確認の上、私の方針を決定することとした。N生命から「K社長の意向は尊重する」との回答を頂き、私は、労連役員の意見を生かし、「経営権の問題」として対処することに意を決し、沖縄を訪問した。R生命労組幹部との懇談では十分に本部方針を理解して頂いたが、労組執行部から、労連本部委員長として団体交渉に同席してほしいとの要請を受けた。社長以下全役員、労組全執行委員出席の異例な団交の場で、私は、「労組員の労働条件に、決して不利な影響を及ぼさないことを前提として、経営責任において存続計画を実施されたい。なお、その行方については、生保労働者二十八万人が注視していることを肝に銘じてほしい」と述べ、本土進出を了承した。

 七一年三月、主務省はR生命に本土内での営業を認可し、同社は、沖縄出身者の多い神奈川県、兵庫県に拠点を設け、営業活動を開始した。政府は、七二年復帰後も、国内生保各社の進出を差し止め、R生命の育成を図ったが成功せず、翌七三年七月、沖縄県における営業活動解禁と同時にR生命はN生命に吸収された。幸いにも労組員の地位は保全され、犠牲者の姿はみなかったものの、何のための闘いであったのか? 何のために交渉したのか? 虚しさのみ残る活動であった。その年末に佐藤栄作氏は、ノーベル平和賞を受賞している。

ダイエイは、今後どのような道を辿るのか::注目したい。

 (エイジシュートを達成し、芝生との奮戦記を書こうと延ばしてきたが、未だ達成せず、このような愚痴っぽいものになりました。乞う!ご容赦) 

 

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