垂水の未完成交響曲

                 J 水 沼  靜 一

 

聖書は読んでもクリスチャンでなく、資本論は読んでもマルキストでなく、雑見、雑聞、雑行の類いで、とうとう二十一世紀に足を掛けてしまった。 

右は、文集「垂水の丘を後にして」の中の私の書き出しである。当文集とは、垂水の第三十七分隊会の文集で、同期では小川 浩、立花士郎、矢澤郁男、廣川東一、松岡 潔、それに小泉忠道及び松井邦彦各未亡人の寄稿があり、加えて青木 昭(小泉と三号同分隊)の小泉を悼む特別寄稿が載っている。 

拙稿は「垂水から五十五年」として文字通り垂水の丘を後にしてからのこと、、学問、農政を軸に雑多な趣味と見聞記を綴ったものだが、人も見つめず、己も見つめず、世辞で丸めて浮気でこねて、浮かれ坊主のようなものだったと自嘲している。

右の文集で松井未亡人の文中、未完成交響曲の話があるが、まさか彼が奥様にそのようなことを語ったとは思われなかった。そのことを記すと、垂水で、夜間音を立てずに敵陣を夜襲する訓練があった。松井生徒と私は組になり、鉄道線路の方まで忍び足で行くうち、ふと、ある家から音楽が洩れている。品川では知らず、垂水では軍歌以外には音楽と無縁だったので、懐かしさのあまり、そっと寄ってきくと、それが未完成交響曲の第一楽章であった。それで、松井生徒に「未完成だ」と言ったのである。私は入校前に未完成の映画を見ており、スコアも持っていたが、松井生徒は知らなかったようだ。その民家ではラジオだったのか、レコードだったのか知る由もないが、もっと聞いていたかったが、そうもならず、後髪を引かれる思いで立ち去ったことを覚えている。

しかし、以上は数年前、松井生徒が存命中、浴恩会総会で彼から話されたことで、私にはかすかな記憶の中からそれをよみがえらせることができたのだ。

終戦直前の物資不足で困難な時代に、未完成を聞いていたあの民家の人を思うと、豊かな現代に比べて、時代の隔たりというものに深い感慨を覚えるのである。

 

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