我が青春のモノローグ

J 熊  澤   宏

 

昭和十九年夏の深夜(日付は定かでない)、「経理学校 合格」の電報がわが家に届いた。わが一生を通じて、あの瞬間味わった程の歓喜、感激に比すべきものはない。翌朝、隣の家の家族が、「昨夜は庭越しに、宏さんの本当に嬉しそうな声が聞こえてきましたよ」と言ってくれた。正に純粋無垢、多感な少年時代の至福の瞬間であった。

十月一日雨模様の中、入校のため、父と品川の経理学校に行った。門の入り口で、雨着を着た上級生が案内してくれた。後で分かったが、その人は三五期の中村生徒だった。配属が十一分隊と告げられて一室で待つうち、日焼けした顔の少佐の襟章をつけた人が入ってきて、自分が分隊監事であり、十一分隊は「非常によい分隊である」と言った。小谷太郎少佐だった。これが「泣く子も黙る鬼の十一分隊」と言われた三号生活の始まりであった。

入校前、何度も東京の映画館に通って見た経理学校生徒の生活記録映画は、「弟よ」と兄が弟に書き送る生徒生活の物語になっていた。周りの感動した観客の喚声を聞き、「皆さん、私はあの学校に合格したんですよ」と内心誇らしげに叫んだものだった。物語のナレーションは谷太三郎生徒、教室で眉吊り上げた顔で講義を聞いているのは甲斐生徒、黒帯締めて柔道場で稽古しているのは吉岡秀夫生徒、色黒で目をパチパチさせながら講義をしているのが吾郷教官等と、入校して忽ち思い出した。

特別日課も終わり、いよいよ本格的に鉄拳の扱き(しごき)が始まった。娑婆では想像もしていなかった生活。戦後、鬼の一号の一人に、「何で あんなに殴ったのですか?」と愚問を呈したことがあったが、答えて曰く、「あの時は戦局苛烈を極め、生徒の在学期間短縮、早期卒業もありうる折柄、未熟のまま実戦部隊に出しては大変なことになる。上級生として、一号は心を鬼にして鍛えざるを得なかった」と。「ご尤も」と拝聴したが、「ひょっとして、このクラスの方も、先輩の方々からすれば同じように未完成と見られ、結構扱かれていたのではないかな」と思ったりした。

話変わって、十月二十二日に創立七十周年記念行事として、生徒の家族を見学に招いた運動会があった。そこでドッキリしたことがあった。学校には理事生といって、女子事務員が勤務していた。海軍として採用するので、何れも良家の子女だったと思う。徒競走にその人たちも参加した。その中の一人は名前も知らぬが顔見知りで、少なからぬ因縁ある娘であった。(と言っても、当方の一人よがりに過ぎないが)。受験のとき、築地経理学校の試験場に毎日夕刻、その日の当落結果を見に行った。二日目から校門入った直ぐの所に、二、三人の女の子が屯しており、その内の一人が、「熊沢さん、合格しています」と言う。次の日もまた彼女がいて、「今日も合格です」と顔赤らめながら言った。只それだけであったが、目の前を走り抜けるその娘が、ひょっとして、私に気がつき親しげに近寄ってくるのを、あの鬼の一号に見られたら「どえらい事」になると、今思えば笑止千万だが、その時は真っ青に緊張したものだった。実際にはその人の姿を二度と見ることはなかったが、誠に幼稚な程、純情だったな!

純情といえば、恐怖の一号から一寸優しく声をかけられると(滅多にないことだが)、一転して感激したものだ。

経理学校も品川までは辛うじて生徒生活の体面は保てたと思うが、二十年初頭、海軍が借用した兵庫県垂水の商業学校校舎に移ってからは、居住環境が一変して悪化。生徒生活の花といわれたカッター訓練も、電車に乗って明石海岸まで行く始末で、大変な様変わりだった。

三月末一号生徒が卒業、三七期も二号になったが、暫くすると、夜間の空襲で睡眠時間が乱れ、昼間の日課も不規則になるなど、最早満足な生徒生活とは言い難く、(私の場合は)二号時代には誇り高き海軍生徒の思い出は乏しい。僅か一年足らずの未熟な海軍生徒であったし、あの時代の生活は果たして自分に何を残したか?兎も角、脱落もせず生活を続けられたというのは事実だが、「海軍の生活」と言える程の期間、在籍した訳でもなく、「娑婆」でもあの頃の子弟なら、一応は学校や家庭で身につけた基礎的躾もあり、どうも、わが身に照らし、これこそ海軍生徒生活のお陰というものが一口には出て来ない。

只、しょぼしょぼするな!でれでれするな!ぼやぼやするな!スマートにやれ!と、鉄拳の嵐とともに吹き込まれた機敏性の「躾」は無意識のうちに身にしみて残ったと思われる。また一号の、聞け!待て!の怒号や喇叭!パイプ一声等、瞬時に全身にattention!の緊張が働き、その後の動作に条件反射的に反応する癖もまた、その後の社会人生活において問題に出会った時の判断と迅速に対応する行動性には、何がしかの好影響を与えていたかとも思ったりする。しかし、それより何より、年古りていまなお明らかなのは、若き日に「あの天下の海軍経理学校に合格した」という、強烈な内心の矜持、自負心であり、それがその後の平凡な人生ではあるが、或いは自分の支えになっているのかも知れない。往事茫々、されど、あれもまた、我が貴重なる青春の一齣と追憶し、独白する。

 

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