海軍経理学校思い出のお宝など

                 G 佐久間  眞 城

             

昭和二十年八月二十二日、暴風雨の夜半、軈て決戦場となる筈だった故里、房総半島に在る国鉄駅に黒い衣嚢を担いで降り立った。「八月二十一日発行乗車証明・垂水駅長運賃着払」と「下士官兵旅客運賃割引証・大阪海軍経理部長」が残っているが、運賃は着駅で請求されなかったと思う。

経理学校の思い出を辿る物品のうち、『短剣』、『修業記録(残念ながら現在手元にはない)』、『写真』の三点は値の付けられないお宝である。

あれから六十年、間もなく貴様と俺のクラス全員が傘寿を迎える。純真無垢の軍国少年が憧れて在校した略一年の品川・垂水の生徒生活は、余人の想像を超えた貴重なものだった。戦争の犠牲となられた方、悲惨な体験をもたれる多くの方々には申し訳ないが、誠に意義深い修業訓育だった。現在、手元にある次のお宝は、次第に薄れようとする記憶を呼び戻し、改めて人間というもの、教育というもの、国家・世界・平和というものを再考せよと語りかけてくる。

一、入校までのもの

地方の中学で柔道が好き、体力・学業も先ず先ずで軍人志望。しかし、中学に入ってから近視となり、経理学校を受験することとなった。

海軍生徒志願者学術受験者心得(海軍生徒採用試験委員―以下委員と略す)・同身体検査合格者心得(委員)・志願票受理葉書(海軍経理学校―以下経校と略す)・経校身体検査合格之證(一九・五・一九委員)―七月二十日から二十六日までの学術・口頭試験の日割表・至急官報電報(赤ペン)「カイケイゴウカク九・五・一〇・三〇」・採用予定通知書(委員長)「十月一日〇八〇〇マデニ着校セラルベシ」・九月五日付入校心得其ノ他ニ関スル件通知・経校位置略図・同日付速達公用海軍経理学校生徒採用予定者殿(経校副官)「::従来ノ通学業ニ精励向上ト共ニ体力ノ維持充実ニ留意相成度、尚、時局柄勤労動員食糧事情及ビ一般体位低下ヲ考慮、現ニ胸部::ノ他ハ全部採用スルニ付キ安心シテ入校準備アリ度」とあり、当時の状況が思い起こされる。 

二、生徒在校中のもの

1、被服・書物類 

○短剣・剣帯、軍帽・略帽・冬夏衣・サスペンダー・靴下・ゲートル・襟章肩章釦・名札・遊泳褌・帽・服ブラシ・鋏・御守(海神社など)等。

○軍人勅諭・勅諭衍義・経校移転記録・経校生徒心得・校訓五誓・生徒服務綱要・訓言集・軍歌集・吟詠要綱・手旗信号法・教科書類・未使用葉書(検閲済スタンプと「本校生徒宛ノ通信ハ已ムヲ得ザルモノノ外葉書トセラレタシ経校」の捺印がある。)

○また、メモ・その他として軍人勅諭謹写(五枚紙縒綴じ)・分隊日誌原稿、それに何故か学科テストの草案用紙などが残っている。

他に「海軍三校の現状―海軍省」戦線文庫七月号「海経校決戦特輯―大戦果の蔭に活躍―大東亜戦争と海軍主計科士官報告座談会」 月刊読売十九年三月号「いいなあ海経校―サトーハチロー」などがある。

2、写真類 入校二週間後の夕刻庁舎裏で一人宛撮った一枚二十銭の写真・十月三日採用略決定の中学制服の分隊写真・四日の父兄との写真を始めとして、入校式・任命式・七・八分隊(四班)生徒・瀧明監事と八分隊全員・校長教官・品川校道場開き・三号のクラブ、元日のスナップ、など三号時代。そして二号時代は京都丸山公園への分隊行軍ぐらいしかなく、垂水生活が推察できる。

 他に三五期から卒業時に書いてもらった色紙類(戦死の石井洋行主計少尉など)がある。

3、手帖・私日記メモ小型手帳に雑多なメモが残されている。三号時の鉄拳による指導の記録は懐かしい。個人或いは全体の責任喚起や懲罰的原因もメモされている。二号になっても、偶に(三号への指導不十分などの理由で)記されている。

 その他、三号時は同県の先輩名・出身中学など、二号になってからは生徒館の配置図・各生徒の分担(私は柔道・整備・被服係)・八分隊三八期生徒に関するメモ・各分隊一号名・日課表・生徒館点検メモ・発火信号・名札のつけ方・チェスト内の並べ方・防衛隊・時間割、三号の指導の詳細等々が順不同に記され、憶測に頼る他ない曖昧な項目もある。

三、終戦後のもの

 九月二日「海軍生徒ノ復帰入校ニツキ」各種文書と電報・九月十日ガリ版の校長名「生徒一般へ達」・「十月一日生徒差免、生徒ニ奨学金トシテ先ニ交付セシモノト合ワセテ五百円ヲ海軍大臣ヨリ支給ス」・九月二十三日「海兵・海経生徒へ、今後ノ心得並参考事項ニ就テ」転入学案内・二十一年二月一日修業証明書・成績証明書(第二復員省)「海軍経理学校第二学年生徒教程修業、総合成績」が送達され、海軍経理学校生徒の凡ては畢った。

 

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