海軍経理学校の思い出

                           G      進

 

 「海経合格」の報を受けたのは、昭和十九年九月、学徒動員で大阪機械尼崎工場に勤務の最中だった。入校に際しては、父に連れられて上京したのだったが、上京から終戦までの思い出は、会員諸兄がそれぞれに麗筆を揮って書いておられると思うので、文章下手の私は、手短にネタだけを列挙することでご了承願いたい。

○当時、私は胃弱で、高価な胃薬をのんでいたが、上京の汽車の中でも薬を離さず、入校後のことをいろいろ想像しながら、飽かず窓外の景色を眺めていた。サツマ芋畑が多いのが目についたし、早朝の富士には「この麗しき国土は護らねば」と誓ったものだ。

○玉砂利(?)を踏んで品川校の正門をくぐった。「やるぞ」と、若人の血が騒いだ。新築校舎全体にペンキの匂いが強烈だった。

○一、二、三号一体になっての分隊生活が始まった。品川台場を真っ正面に見、東京湾に向かって声高らかに吟じたのは

  嵐吹く世にも動くな人心

       巌に根ざす松の如くに (明治天皇御製)

 そして、

  身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも

       とどめおかまし大和魂 (吉田松陰辞世)

とにかく、純真だった気持ちが懐かしい。

○撃墜されたB29を目の前の東京湾上に見た。

○垂水で分隊対抗の野球試合。私は生まれて初めてのピッチャー役で、キャッチャーは一号生徒。第一部で優勝。

○二十年五月の呉での乗艦実習。終戦三カ月前のあの時期に、よくもこんな大がかりな実習ができたもの、と今でも不思議なくらい。

○終戦のご詔勅を聴いた当日の日誌は、ショックと無念さで真っ黒に塗りつぶされている。

  

 帰郷してから、母校中学校の教師に転入学、進学を勧められたが、家庭の事情でそれもかなわず、「竹の一節にも似たるかなわが人生」の句の如く、(株)スター靴店を創業し、平成十七年春で四十八年の幕を閉じて、今は自宅で個人営業をしている。

 

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