受験から入校前後

E 中 田  武 志

 

 受験、入校とは、もちろん海軍経理学校の受験、入学のことである。何しろもう半世紀以上も前のこと、思い出そうとしても脳裏の彼方にかすんでいるようで、定かではないが、今も印象に残っていることを、思い出すまま書き記す。

一、面接試験

 受験当時(昭和十九年)金沢にいた。中学は小松中学であるが、父の職業上小松市から金沢に転勤しており、試験は金沢で受けた。

 七月だったと思う。まず身体検査、視力を心配したがどうにか合格、例の学科試験も無事通過、最後の面接に臨んだ。

 当日、部屋に入ると、正面に第二種軍装の士官(大尉だったか)が端然としておられた。一礼して座り二言三言質問の後、突然、「君は長男だな。長男でもよいのか」と言われた。(わたくしは三人兄弟の長男であった)。一瞬私はあっけにとられたが、「この日本が今勝つか負けるか危急存亡のとき、長男も次男もあるか」という意味のことを答えたと思う。

 この面接官の面影と質問が、今も鮮やかに脳裏に浮かぶ。海軍は戦争中でもリベラルであったと戦後よく聞いたが、まことに宜なるかな、海軍を誇りに思う。

二、歯の治療 

今でも記憶に残るが、入校心得の中に、入校までに歯の治療をしておくようにとの一項があった。なぜ歯だけ、特に治療しておかなければならないか、一寸不思議に思ったが、とにかく歯医者に行った。

奥歯が一、二本僅かに虫歯になっていた。医者いわく、「君はなかなか感心だ。この程度ですぐ治せば、治療も痛くないし、第一健康によい。君は長生きするぞ」と。もうすぐ海軍軍籍に入る身に、長生きするぞなどと言われて、内心苦笑を禁じえなかったが、その場は有り難く拝聴した。

今になって思うに、入校前になぜ歯の治療をさせるのか。憶測するに、一つは歯の治療は長くかかって訓練の妨げになること、一つは一号生徒がしつけ教育をする際、歯並びが悪いと口腔を切るおそれがあったからではなかろうか。 

三、入校時の視力検査

確か九月三十日か十月一日に校門をくぐったと思う。当時学校は築地から品川に移転していた。

入校時にもう一度身体検査があるということは、予め分かっていたし、最初の身体検査に合格した時も、試験官から「君は視力がかつかつ(両眼とも裸眼で〇・二)だから十分注意しておけ、入校時にもう一度検査がある」と、わざわざ注意されていた。九月に合格電報を受けた。ここまできたからには、眼で落ちたでは泣くに泣けない。懸命の思案の挙句、手をまわして医師から視力表を見せてもらい、視力表の〇・三までを暗記した。それこそ必死の思いであった。

そして入校した翌日かその次の日か、いよいよ視力検査。見て驚いた。一列に並んで前から順番に定位置に立ち、検査を受けているが、前方に視力表がない。前方にある小さな穴の中に、視力表の文字か記号が一つずつ現れるのみ。視力表全体が見えて、初めて暗記が役に立つ。敵もさるもの、裏をかいたか。今でこそもう言えるが、この時の私は顔面蒼白、冷や汗が流れていたと思う。もう仕方がない、破れかぶれ、腹をくくった。

どこまで視力を答えられたか、今は全く覚えはないが、とにかく入校できた。後にきくところによれば、ここまできて視力で落ちることはまずないということであった。

今頃になって思う。当時視力表は皆同一であったのだろうかと。
四、入校と両親

入校時には父か母かが同行したはずだと、念のため、入校直後の分隊別記念写真を見た。学年指導官、分隊監事等と、私たち三十一名及び同伴の父兄が写っている。よく見ると、驚くことに父も母も写っている。同伴の父兄を数えると皆で三十五、六名、とすれば私たち生徒三十一名のうち、両親共に付き添って上京した者は殆どいないであろう。しかも子供二人だけを家に残したまま。両親がいかに、私の海経合格を喜び、かつ誇りに思っていたかが、ひしひしと胸に伝わってくる。

今は帰らぬ人となった父と母、本当に有り難う。それにしても写真に写る父と母、実に若い。 

五、二号生徒の第一印象

 入校した当初は、三号全員道場で雑魚寝だった。二、三日たってから分隊別に分かれ、分隊の一、二号生徒の世話を受けることになる。私は第六分隊であった。その頃になると少しずつ落ち着き、一、二号生徒の顔や態度を観察できるようになった。今でも浮かぶ鮮やかな印象を、箇条書きに記す。

(一) 最も強烈な印象は、一号生徒も二号生徒も皆、すばらしい紅顔の美少年であるということ。全くの驚異であった。

(二) 栄養の行き届いた素晴らしい体、丸太ん棒のような隆々たる腕。私たち娑婆では、食料が不足し始め、私自身ひょろひょろの体。全くすごい。 

(三)鋭い目つき、しなやかな身のこなし。ただ一号生徒と二号生徒では眼の鋭さが少し違うような印象を受けた。人の心の奥底まで見通すような、一号生徒の鷲のような眼光。それに比べ、二号生徒の眼は、時折りふっと柔かくなるというか、遠くを見つめているような印象を受けたことを覚えている。

あとがき…知らぬが仏とはこのことか。しばらくして私たち三号は、一号生徒からあの丸太ん棒のような腕で猛訓練を受け、そして徐々に、紅顔の美少年に育っていった。

 一、二号生徒、有り難うございました。

 

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