海軍経理学校志願の動機と雑感 

@ 島 田  朝 雄

 

小生が海軍経理学校〈海経〉を受験するのを決めたのは、中学校の三年生になった頃だと思う。

小生の出身校群馬県立富岡中学校は、農村地域の学校であったが、当時、県内では、進学校の部類に入っていた。特に、軍関係の学校である陸軍士官学校(陸士)、海軍兵学校(海兵)に進学するものは、県下有数の前橋中学校、高崎中学校に次ぐ程度であったと記憶している。 

そのことは、質実剛健の校風と、学校の教育方針によるところが極めて大であった。特に、教育熱心で、生徒の信望を得ていた数学のある先生(角田先生)は、愛国心に燃え、生徒の進学校のトップに陸士、海兵をあげて受験を薦めていたので、生徒に対する心理的影響力が極めて大きく、小生もその先生を慕っていたので、知らず知らずのうちに感化され、三年生に進級する頃までは、海兵を目指して勉強していた。ところが、二年生頃から近視が進行し、海兵の身体検査基準に触れて不合格になる恐れが生じたので、海軍の学校であればよいということで海経に志望を変更した経緯がある。

今にして思えば、学校の教育方針とその方針にマッチした一人の信望ある教師の考え方が完全一体化して行った教育は、その効果ははかりしれないものがあり、軍国主義化「?」の尖兵の役割を果たしていたような気がする。

また、海経を受験したもう一つの動機は、小生が生まれ育った農村に由来すると思われる。

そこは、群馬県の片田舎である妙義山麓の妙義町である。これといって産業があるわけでなく、貧しい農村であり、小学校は一学年約百名で級友の数パーセントが中学校及び実業学校に進学するのみで、他の大部分の級友は、貧しさと子だくさん故に高等小学校を卒業すると社会へ送り出されていた。現在は、都市と農村の差は、すべての面でそれほどではないが、当時は、特に、情報伝達手段が都市に比較して劣っており、閉鎖的社会性を帯び、封建的思想が育ちやすい環境にあった。従って、中学校、実業校へ進学したもので更に上級校へ進学を希望する大部分のものの中には、農村地域の社会的、経済的環境から必然的に、学費が無料でもある軍部の幹部養成学校を目指すムードが自然に醸成され、小生もそのムードの中で成長し、海経を受験したのである。

最近、小中学校生徒の学力低下が叫ばれており、これは、文部科学省の指導要領の「ゆとり教育」が原因であると言われている。昔と違って週休二日制で、かつ、ガリ勉をきらうような国の方針では、現場の教師は教育に対する使命感、情熱が薄らぎ、教育効果が上がるはずがない。

若かりし頃、良きにつけ、悪しきにつけ、文部省の教育方針に大いに影響を受けたものにとって、その方針が如何に大切であるか、極論すれば、国の存亡にも関わる問題であると今更ながら痛感している次第である。日本の将来を考えるとき、現在の文部科学省幹部の考え方に疑問を感じざるを得ない。

ここで、少し海経入校当時の感想を書いておくことにする。希望に燃え将来は立派な海軍士官になるのだという気概を持って入校した小生が、間もなく驚きもし、落胆したのは一号生徒の鉄拳制裁である。殴るために理由を無理につけているようなものだった。「巡検用意」、「総員起こし」、遅い者、整頓の悪い者がいれば連帯責任の鉄拳制裁、このような体罰は、陸海軍共通の所業であったようであるが、エリート集団の海経で、なかば公然と行われていたことに、純真無垢で世間知らずのものにとって、びっくりしたのは、無理からぬことであった。こんなことをやっていて優秀な海軍士官が育つであろうか、と朧げながら考えていたようである。

しかしながら、物事にはすべてプラス面とマイナス面がある。そのどちらかが多いか少ないかでその評価がきまる。以上、鉄拳制裁教育の悪い面ばかり取り上げたが、三号のときに同じような過程を通っていたであろう一号生徒のすばらしい肉体、鋭い目つき、堂々とした仕ぐさ、態度、そして立派な海軍士官候補生として巣立っていった姿を思い浮かべたとき、このような教育がよかったのか、今では多少の疑問を感じながら、懐かしい思い出として肯定している。

 

 

 寄稿文目次へ戻る                         次ページへi